日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
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メッセージ要約版

3月6日

尊すぎる君(ヨハネ17:1-10)
 昨年の自殺者数は、交通事故より多く3万4千人を超えると発表されました。いろいろな要因で心が折れてしまい、生きる自信や意欲をなくし、自分には価値がないと思い込む人が多い時代になっているということでしょう。その時代に生きているクリスチャンとして、私たちはその人々を助けるべきなのに、その人々と同じようになっている場合が多いのは、なんと残念なことでしょう。クリスチャンとして、自分の存在がどれほど貴重で尊いのかを、今日の聖書箇所から知り、その自覚をもってすべてに打ち勝てるようになりましょう。
今日の聖書は、イエス様が最後の晩餐のあと、弟子たちにメッセージをすべてなされ、そして、これから十字架にかかるために弟子たちを残して行かれるので、弟子たちのために祈りをささげられる場面です。これは、私たちのためへの祈りです。この祈りをじっくり読むと、自分が自分の想像をはるかに越えて尊い者だとわかるようになります。クリスチャンひとりが、どれほど尊い存在かというと、神の御子が十字架で血を流し、いのちを代価として払われるほど尊いのです。これからスタートしなければ、すべてが混乱してしまい、祝福のメッセージを自分のものとはできません。そのスタートをしてから、今日の祈りの内容を見てみましょう。
私たちは、天が感動した人なのです。イエスを信じて救われたときに、神の栄光が豊かに現れるようになり、神様が栄光を受けるようになったのです。そして、イエス様も私のゆえに栄光を受けられました。私がなにかしたり、なにかすばらしい要素があったからではなく、イエス・キリストを救い主として知って信じたことによって、栄光を受けられ、感動されたのです。イエスをキリストとして信仰告白した人は、存在そのものが尊すぎるものになったのです。ゼパニヤ3:17には、神様が喜び、歌っておられると言われています。ひとりの人が救われると、天使がみんなで集合してパーティーを開くと言われていますし、イエスをキリストと信じて受け入れるだけで、天を揺るがすほど大きなことなのです。
そのように尊い存在なので、イエス様が切に祈ってくださいました。私はイエス様の祈りの中にいるほど尊い人なのです。17章全体を読むと、キリストを知り信じた人を見て、イエス様があまりにうれしくて、たまらないようすを見ることができます。大事に大事に見守ってくださる存在です。イエス様にとってかけがえのない大切な存在なので、少し離れるだけなのに、父なる神様に守ってくださいと切なる願いをしてくださいました。私よりイエス様が心配してくださっているから、私たちは心配、不安、言い訳はいりません。イエス様が私たちをこの世に置かれているのは、この世を生かし変えるためです。イエス様がこの世を託して、遣わされるほど、私は尊い存在なのです。
そして、祈りのすべての核心の「鍵」は、三位一体の神様と一つとなった人だということです。イエス様を信じただけで、神様と一つとなりました。これは神秘的なことで人間では説明できないのですが、イエス様を見た者は神様を見た者だと言われたように、神様と一つとなっているので、私を見る人は、イエス様を見るのと同じだと言えるのです。そのようにとても尊い存在なのです。イエス様を信じる人は、世のものではありません。この世に生きていますが、「わたしたちが一つであるように」と言われたように、神様が三位一体でひとつであるように、その中に私が入ったのです。それは、五旬節の日に聖霊が臨んで、成就するようになりました。神様の愛が私の中にあります。それはこの世が見て分かるようになるのです。
これほど尊い存在になっているので、喜ぶことができないことは、すべてカットして、それにふさわしい歩みを始めましょう。何があっても絶対に落胆せず、人との比較、劣等感、不安を振り払ってしまいましょう。神様が尊いと言われたので、自分をあわてて勝手に判断、評価しないようにしましょう。そうすれば、他のクリスチャンを見て評価することもなくなるはずです。そして、積極的に、無理にでもキリストにある次元の違うほめことばを自分にいつもかけるようにしましょう。そうすれば、サタンが逃げ去ります。そして、あきらめず、結果も気にせず、自分の未信者の家族、現場、地域の福音化のために祈りましょう。世を生かす者として残されているので、存在がそのような存在だと信じて、確信を持って祈りましょう。