日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
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メッセージ要約版

3月27日

避けられない道(ヨハネ18:1-11)
 私たちの人生には、今回の地震でなくても、人生を揺るがすような危機に出会うことがあります。そのときに、クリスチャンは信仰がためされます。なにがあっても揺れない信仰があるのか、ないのかは、今すぐには大した差がないのですが、子孫にまで影響を及ぼすほど天地の差をもたらすので、揺れない信仰を持つようになりましょう。
 今日の聖書では、イエス様が弟子たちと最後の晩餐を終え、出て行かれて捕えられる場面です。イエス様はそのとき、ご自分が捕えられるとご存じだったのですが、裏切ったユダが知っている場所にわざわざ行かれました。そして、捕えられるときに、これは定められた道なので、この道を行くしかないとおっしゃいました。なぜ、この道しかなかったのでしょうか。
 それは、人生の問題は私たちが理解していること以上に、ものすごく深刻だということです。ペテロがイエス様のことを愛するあまりに剣を抜いて切りつけたのですが、そのような思いやりでは人生の問題は解決することはなく、イエス様が捕えられ、十字架につけられる以外には道はないのです。人間はすべての人が神様から離れて、生まれながら御怒りを受けるべき子なので、防ぎようがない不幸な人生を生きるしかないのです。どんなに勉強しても研究しても答えを出すことができない霊的な病気を持っているので、時間が経てば経つほど問題は深刻になっていきます。人生には深い霊的な根があって、創造主の神様とともにいてこそ幸せな存在として創造された人間が悪魔に惑わされ、神様にそむいて罪を犯すようになり、神様との関係がすべて壊れて神様に会えなくなり、人間を壊す悪魔に支配され、運命に捕えられているので、不幸になるしかないのです。
ですから、イエス様が十字架に行く道しかなく、他には道はありません。世の中には立派な人、尊敬される人、影響を与えた人もたくさんいますが、人間の問題、根にある霊的な問題に触れることはできません。どんな英雄も、どんな思想も、どんな宗教も、どんな発展も、人生の深刻な霊的問題を解決する道にはなりません。今回の地震や津波で自然の威力の恐ろしさを語られますが、その自然がそのようになった理由も、人が支配して治めるはずだった自然が、人間が神様から離れたゆえに敵となってしまったという霊的問題があるのです。
人間の問題がこれほど深刻なので、神様は人間になにかをしなさいと言われずに、神様ご自身がメシヤを送ると言われました。これが神様の方法であり、神様の愛です。神様は、神様を離れた人間に、はじめから女の子孫を送ると言われました(創世記3:15)。これは、普通に生まれる人ではなく、神様がメシヤを送ってくださり、悪魔のしわざを踏み砕かれるが、そのとき、かかとにかみつかれるような犠牲があるということです。その約束どおり、ひとり子であるイエス様を神様が送ってくださいました(ヨハネ3:16)。神様ご自身が人として来られ、あがないの犠牲のいけにえとなってくださったのです(マルコ10:45)。イエス・キリストがこの世に来られ、すべての罪を負って身代わりとなって十字架で血を流して死なれ、あがなってくださる以外に人間の問題は解決しないのです。十字架の道によって、神様は愛をあきらかにしてくださいました(ローマ5:8)。滅びる罪人の私たちが助かる道は、その道一本しかありません。十字架によって救いの道が開かれたので、だれでも御名を呼ぶ者は救われるようになり(ローマ10:13)、信じる者は神の子どもとなり(ヨハネ1:12)、死からいのちに移るようになったのです(ヨハネ5:24)。だれでも、イエスを信じる者は、根本から問題が解決され、救われます。
これから、どんなことがあっても、混乱することないキリストの唯一性を告白するクリスチャンになりましょう。なにがなんでも、キリストしかないというときに、暗やみが打ち砕かれます。そして、葛藤のない救いの確信を持ちましょう。また、キリストが道なら、世に存在する理由は、その一本の道を知らせるためであると、迷いのない使命の結論を持ちましょう。
十字架の道を深く黙想して、人生の方向や色を整理して、神様に用いられ、神様の栄光をたたえるようになることを祈ります。