日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
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メッセージ要約版

4月17日

この世のものではない(ヨハネ18:33-38)
大震災のあと、まだ整理もできていませんが、たとえ今の状態が落ち着いたとしても、これからもっと精神的な症状が現れて、問題はより複雑になり、困難な時を迎えるようになるでしょう。そのようなときに、世に流されるのではなく、クリスチャンとして、世を生かす自覚を持つ必要があります。常識として助けることは当然ですが、他の団体と同じことをするのに熱心になって勘違いすることがあります。今日、イエス様がユダヤ人につかまってピラトの裁判を受けておられる場面で語られた「わたしの国は世のものではありません」ということばから、キリスト教は何が違うのかをはっきりと知り、忘れないようにしましょう。
 まず、キリスト教は基礎が違います。そのことをもう一度確認して、感謝を回復しましょう。世の中には、精神問題、犯罪、家庭崩壊、病気もさまざまなものがあり、社会的にも若者の無気力の問題、自殺問題など、問題と苦しみがたくさんあります。それらの理由を、だれかのせいにしたり、社会のシステムや教育のせい、愛情不足などということにして、そこで解決しようというのが、この世の問題の対処の仕方です。しかし、キリスト教は問題を見る目が違って、根本的に霊的な問題があると見ます。神様との関係が断たれ、暗やみの世界のサタンにつかまったからであると見るのです。ですから、その問題に対して、人の力ではどうしようもないとわかるので、人生の答えが違います。愛情、教育、努力、システムではなく、神様が人間となって来てくださって、十字架で死んでよみがえってくださったことだけが解決だと、人生の答えはキリスト一本しかないと告白します。この内容を「いのち」と言います。この世は、問題を解決するために、なにかを目指して一生懸命にがんばって行くのですが、キリスト教はキリストを信じることによって、人生のすべての問題が解決するとして、それがスタートだと言います。受け入れたとたん、問題が目に見えてあっても、なくても関係なく、すべてが終わったというのがスタートなのです。この違いをしっかりと確かめましょう。
また、キリスト教は祝福の概念が違います。この世はお金があり、愛情に包まれ、問題がないと祝福だと言いますが、イエス様は弟子に向かって「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」とおっしゃいました。つまり、キリストを受け入れて、サタン(暗やみ)の国が砕かれて、神様が支配される人生になることが幸せであり、神様がともにおられ、天にあるすべての霊的な祝福を受けているから幸せだということです。ここが変わらないと、神様からの答えが見つけられません。環境で左右されるような人生ではないのです。そして、約束されたように聖霊に満たされて、その結果、イエスの証人となり、伝道者として生きることが祝福なのです。自分にとって祝福はなにかを考えて、自分の祝福の概念を、決断をもってチェンジしましょう。
そして、キリスト教は人生の生き方が違います。人生の答えを持って、祝福が変わったら、すでに幸せで、何かを手にいれるためでなく、聖霊に満たされて証人となるために生きるので、神の国とその義とを第一に求めて生きるようになります。この世はいろいろな目標を持って生きるところですが、そうではなく、伝道、福音宣教のために自分の考えや意見、感情、人の意見ではなく、神様のみことばに従って生きて行くのです。目的が伝道になっていると、神様からみことばが与えられるようになります。なにがあっても、みことばを思い出し、みことばに照らし合わせて、なにかと問うて行けばよいだけです。そのようにしたら、祈る内容を与えられるので、それを祈る、祈りの祝福の中で生きて行くようになります。神様は、かならず時刻表に従ってなさるので、神の国が臨む答えを拝見しつつ次のステップに進めばよいのです。自分をどれだけ捨てるかがポイントです。
ですから、礼拝に、特にメッセージにいのちをかけましょう。そして、翌日のスケジュールを書いて、伝道とつなげて考え、日曜のメッセージを中心に神様の導きを求めて祈っていきましょう。
この世のものではないという唯一性の告白と確信とともに、クリスチャンとしての絶対的なプライドを持って、違う生き方をしようと、伝道者の生活の新しいスタートをすると決断をしましょう