日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
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メッセージ要約版

5月8日

完了したと言われて(ヨハネ19:28-30)
 なにか問題や困難が目の前にあると、ついつい、それを解決したくて、自分でなんとかしようと思いますが、そのときに、一歩踏みとどまり、イエスの死を黙想することができれば、問題が解決されるのとは次元が違う本当の勝利の新しい門が開かれるようになります。今日の聖書は、イエス様が十字架で死なれる場面です。イエス様の死は他の死とは違います。その死の意味がなにかを知り、自分のものにして、どんなときにも、まず、十字架を黙想するようにすれば、人々を助けることができる力あるクリスチャンになることができるでしょう。
 イエス様が十字架につけられたとき、兵士が下着をくじ引きで取って行きました。つまり、イエス様は丸裸になって十字架で死なれたのです。これは、イエス様がすべてをさらけ出して、完全に罪人として審判台に立ったということです。十字架の上の者は、十字架で死刑になるしかない罪人だと認められたことです。また、十字架の死刑に対して、一切弁明は無用で、完ぺきに罪人だということで、恥をさらけ出して死なれたのでした。アダムが罪を犯したときに、いちじくの葉で自分を隠しましたが、そのようなものでは隠すことができない罪であり、なにか他のことでなんとかなるという可能性は一切否定して、罪はどうしようもないものだと示された姿でした。私たちの罪は十字架の上で死ぬしかないほど恐ろしいものなのです。その罪をすべてさらけ出して、それをすべて自分の身にかぶって、あがなうためにイエス様は十字架で死なれました。
 そして、イエス様は救いが完了したと知って死なれました。救いのすべてを完了したのを確認してから死なれたのです。神様の願いはただ一つ、人間が救われることです。人間は神様から離れ、サタンに支配され、滅びの運命に捕らわれているので(創世記3章)、そこから解放されないと絶対に幸せにはなりません。その創世記3章から完全に解放されることが救いです。そして、神様から離れていた人間が、神様がとともにいてくださるインマヌエルで、神の子どもになります。それは、神様のすべての祝福が与えられた祝福の者になるということです。そして、天国に行くまで完ぺきに保障されて、天の御国の国籍が与えられています。これが救いですが、その救いが足りないことも、ミスもなくやり残しもなくすべて完了したと確認して死なれたのでした。イエス様は死を支配される方ですから、イエス様の許可なしには、死ぬことはないのです。
 このように、死が許可されたということは、救いはまったくミスがない完ぺきで完全なものであるという証拠なのです。自分のためのイエス様の死であると、いつも問題の前、弱さの前で思い出すようにしましょう。救いは完ぺきなので、イエス様を信じると、どんなことがあっても、完全にかつ永遠に解放されていることは変わりません。滅びることはもうありません。また、神様が聖霊を通して中に住まわれるので、永遠に同行されます。心配、不安は要らないのです。そして、天国に行くという未来までの永遠の保障があり、取り消されることはありません。
 救いは完ぺきなので、不安にならず、問題や困難、弱さがあっても、そのたびにイエス様の死を思い出して戦いましょう。救いが完ぺきなので、神様の祝福のみわざが現れるようになっています。揺れずに待っていれば良いのです。救いを疑うことなく、心から救いを感謝して積極的に楽しみ味わいましょう。なにかをする前に、まず救いと救いの祝福を条件なしに感謝して、イエス様がすべて十字架で完了されたので、自分の人生や自分に対しての否定的な暗い思いはすべてうそであると捨てましょう。そして、この完ぺきな救いの祝福を他の人が受けることができるように、イエス様を伝えていきましょう。救いこそが、本当に人を助けることなのです。