日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
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メッセージ要約版

5月29日

明確に新しく(ヨハネ20:17-23)
 イエス様はすべての救いを成し遂げて、その証拠として復活されました。その復活のあとにイエス様の話の重みは計り知れないものがあります。今日、復活されて最初に言われたことばを通じて、復活を信じる私たちは、今までのことをすべてひっくり返して新しく始めるようにしましょう。そのために、なにを明らかにして確認すべきでしょうか。
 まず、イエス・キリストを救い主として信じているクリスチャンは、抵抗することができない救いが与えられていることを確信しましょう。イエス様はマリヤに向かって「わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る」と他の弟子たちに告げるようにと言われました。イエスの父が私たちの父であり、イエスの神が私たちの神であるということです。つまり、私たちは全能の神を「アバ、父」と呼べ、勝利のイエス、万軍の王であるイエスと仲間で親しい神の子どもになっているということです。これが救いです。私は幸せな者であり、祝福された者になっています。その明確な確信を持って新しくスタートしましょう。
 以前は死の力に捕らわれ、なにを持っていてもまったく関係なく、神の御怒りを受けるべき子で、滅びの運命に捕らわれていたのですが、イエスを信じて、死からいのちに移って、死から完全に解放され、天にあるすべての霊的な祝福が私のものになって、最高の祝福の身分に変えられているのです。どんな問題を抱えていても、まったく関係ありません。疑いと自分の基準を捨てて、神様がともにおられるゆえに、自分が幸せな祝福の者だという確信を持ちましょう。この幸せは、だれも奪いとることはできず、どんなに最悪の状況でも、その状況を超越すことができるほどの幸せです。だまされないようにしましょう。
 また、復活されたイエスによってどんな現実があっても、必ず勝てるという勝利の確信を持ちましょう。現実に圧倒され、不安で怖くて集まってふるえていた弟子たちの真ん中に立って、イエス様は「平安があなたがたにあるように」と言われました。イエスがすでに勝っておられるので、なにも問題になりません。問題に捕らわれないで神様がともにおられるので、勝利の確信を持ちましょう。いろいろなことがあっても、すべてを働かせて益としてくださるので、現実に捕らわれる必要はないのです。イエス様は植民地である問題を心配していた弟子たちに「あなたがたは、知らなくても良い」と言われました。荒野の問題も敵も、それが問題がだと思うことが問題であり、イエス・キリストがすべての問題は終わらせて、神様がともにいて導いてくださるので、心配や悩みは必要ないのです。私たちがすべきなのは、ともにおられる神様とその祝福と導きに集中するだけです。現実に振り回されず、勝利の確信を明確に持ちましょう。
 そして、私たちは世を勝ちとる使命の確信を持ちましょう。イエス様が「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします」と言われました。もう私たちは不安になってふるえている存在ではなく、世を勝ちとる伝道者なのです。これが、復活のあとのクリスチャンの本論です。現実に捕らわれていず、使命をもって視線を世に向けましょう。今までの考えや気にすることは、もう必要ないので、神様の祝福を世の人に伝えること、一点に絞って、福音宣教の使命を残りの人生のテーマにしましょう。そのとき、イエス様は「聖霊を受けなさい」と言われました。その使命は、聖霊の力でまっとうさせてくださるので、私たちがするのではなく、ただ神様がなさるのを見て味わうだけなのです。そして、イエス様は「あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります」と、まるで私たちが人の運命を左右できるかのようなことを言われました。それは、福音宣教の使命をテーマにして生きようとするなら、世の中のたましいを任せてくださるということなのです。もちろん、神様の主権の中にあることですが、この世を任せられるすばらしい存在となっているのです。
 ですから、もうよけいなことに捕らわれず、明確な確信を持って、現場を宣教地として見ましょう。いま、私を縛っているもの、捕えられているものは、すべて断ち切ってしまいましょう。そして、聖霊に満たされることに集中して、どうしたら、復活のイエスと救いの祝福を伝えられるかという思いで、伝道を心の中心に入れて現場を祈って見て行きましょう。すべてが明確になり、新しいスタートをするようにお祈りします。