日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
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メッセージ要約版

7月24日

信仰祝福の人(ルカ1:13-20)
 先週、見たように、義人と言われるほど良い信仰だったザカリヤとエリサベツだったのですが、二人には子どもがいなくて、年もとってしまっていたのでした。そのときに、御使いが来て、喜びの訪れの良い知らせを持ってきたと、子どもが生まれることを告げたのですが、ザカリヤはそれに対して、信じられないという反応を示しました。たしかに年をとっていたのですから、普通の反応であり、自然なことなのですが、それは不信仰の発言だったのです。神の前に立つガブリエルが語ったこと、つまり、神様のみことばは、そのとおりに実現するので、信じないのは大変なことだから、そのとおり実現するまで、口がきけなくなったのでした。
 ルカの福音書(聖書)は、救われたクリスチャンは、すでに与えられているので、イエス様に集中して、イエス様を喜びにすべきで、なにか新しいものを探し求める必要はないということと、神様のことばの前に聞き従う姿勢を持つことをテーマにして語られています。クリスチャンとは、自分で考えて悩む者ではなく、神様の祝福のことばを聞いてアーメンする者です。どんな状況でも、どんなときにも、神様のみことばの耳を傾けて信じる信仰がクリスチャンのテーマです。信仰生活はむずかしいことではなく、神様がすべてなさるので、信じなさいと言われているだけなのです。
 神様はクリスチャンに向かって祝福のことばを語っておられるので、それを聞くべきなのです。神様は私たちに向かって、過去にどんな人生であろうと、今の現実どうであろうと、イエス様を信じることによって救われた人だと言われます。救いとは、自分では抜け出せない罪の泥沼、地獄の運命から永遠に解放されて、すべての不幸が終わったことです。また、イエス様にあって祝福された人であり、すでに天にあるすべての霊的祝福をもって祝福されたと言われています。もうすでに、天の御国がうちにあり、神様に愛されている者なのです。また、イエス様のために神様に用いられ、世の中に役立つ人になっていると言われます。このような祝福のメッセージに、私たちはただ「アーメン」と答えればよいのです。
 ところが、私たちには不信仰になる理由があると思っています。人間的な条件として、年齢、才能、地位、名誉、健康、お金とかいろいろ言うのですが、それらは理由にはなりません。また、環境や状況が良くないと、日本が偶像文化だからなどという理由を言いますが、それも不信仰です。また、知識や経験が不信仰をあおることもあります。しかし、神様が語られるなら、ただアーメンとするだけでよいのです。
 選択はアーメンだけです。なぜなら、イエス様にあって、イエスがキリストだから救われたので、自分の理由とはまったく関係ないからです。神様のみことばとは、不信仰の理由が存在しないものです。その根拠は、語られた神様の力とキリストです。ですから、神様が語られたことが成就しないはずはありません。成就する決定事項なのです。ですから、神様のみことばへの反応は、「アーメン(そのとおりです)」しかないのです。問題は、信じるか信じないかということだけです。
 神様が伝道に用いると言われたので、確信を持って、そうなると信じて、自分のいるところで大胆に祈りましょう。そして、訓練を積めばとか、いっぱい準備すれば、有名なら用いられるという宗教的な思考を打破しましょう。神様がおっしゃったので、神様がなさるのです。神様のことばは信じるしかないので、足を引っ張るものを振り払って、神の国が約束されているので、神様が統治されることを求めて、聖霊充満に集中して祈ればよいのです。神様のことばは、信じる信仰があれば、神様がなさいます。それが神様の恵みです。言い訳や負担をおろして、神様がおっしゃるなら実現すると大胆に祈るようにしましょう。