日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
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メッセージ要約版

8月7日

イエスの誕生は(ルカ1:26-38)
 私たちがみことばを聞くとき、自分の持っている知識や常識に合わせて、合うとか、合わないとかを考えていると、みことばが力になって恵みになりません。みことばは、神様のことばなので、かならずそのとおりになると認め、なぜ、どうしてという質問をもって接するようにしましょう。
 今日の聖書箇所は、御使いのガブリエルがマリヤに現れて、マリヤが男の子を産むと告げる場面です。これは、ありえないことでした。マリヤは処女であり、常識や知識では、それまでになかったことで、それ以後もない不可能なことです。御使いはマリヤに「恵まれた方」と言いましたが、結婚していないのに身ごもったとわかれば、町には住んでいられないようになる、になることです。このように、まったく理解できず、不可能なことなのですが、ただひとつだけ、神様が預言されていたから、それはありえることになるのです。
 処女が身ごもることは、預言の成就でした。罪を犯して神様から離れ、たましいがほろびて、すべての幸せ、祝福を失い、偽物の神であるサタンに捕らわれて、のろいと地獄の勢力の中から出られない苦しみの中にいる人間を救い出すために、神様は創世記3:15で女の子孫が蛇の頭を踏み砕くことを預言されました。その女の子孫は、普通に生まれるのではなく、イザヤ7:14に処女から生まれると具体的に説明されていたのです。これは、普通の人間ではなく、神様ご自身が人のかたちをとって来られるということです。人間の知識や常識では絶対にありえないのですが、そのように処女から来られる方が「キリスト」であると預言されていたので、処女マリヤが身ごもることによって来られる方こそ、メシヤ、キリストだということです。マリヤはありえないと言ったのですが、御使いは「聖霊の力」が臨んで生まれる、神様にはできないことがないと言いました。できるとか、できないということではなく、なぜ処女から生まれるのかという質問をするときに、イエスは創世記から預言されてきたキリストであるから、処女から生まれないといけないということになるのです。
 御使いはイエス様がお生まれになるとすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれ、ダビデの王位を受け継ぐ、聖なる者で、神の子だと言いました。それは、イエスはキリストだということです。
 ルカがテオピロにこのように書いたのは、テオピロが信じているイエスは、誕生を見ても、キリストであり、このイエスを信じる者は救われ、神様と出会い、インマヌエルの祝福を受けるのだと伝えるためでした。
 イエスはキリストなので、イエスを信じると救われて、すべての問題が解決します。イエスを信じると、天にあるすべての霊的な祝福を受けるので、本当に幸せな神の子どもになります。すでに祝福されて、問題解決された者になるのです。この確信を正しく持って、心と頭を整理して、自分の生き方のスタイルを変えていきましょう。まず、スタートをいつでもキリストと福音からはじめ、問題を問題として見るのではなく、祝福からスタートしましょう。スタートをキリストにして、インマヌエルの祝福を味わうと、神様がなさいます。それが神の国です。人生の方向をイエスの証人として立つことに変えましょう。疲れて重荷を負う生き方ではなく、イエスがキリストゆえ、どんなところでも、いつでも幸いな者だと確認して、ともにおられる神様に向かい、聖霊に満たされることに集中しましょう。自分をすべて主に任せて、神様を主人とする聖霊充満になると、すべて変わります。聖霊に満たされること以外はいらないと祈りに専念していきましょう。イエスは処女から生まれたキリストなので、聖霊に満たされることだけを求めて祈っていくように願います