日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
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メッセージ要約版

9月4日

すばらしい喜びの知らせ(ルカ2:1-14)
 世の中の人は、一瞬の間だけでも喜びを求めています。今日、天使が羊飼いのところに来て告げた「喜びの知らせ」は、一時的なものでも、瞬間的なものでもなく、永遠に変わらず、消えない喜びです。クリスチャンは、その喜びを自分のものとして、一生、味わうことができる者とされています。今日、その喜びを確信するように願います。
 天使が告げたように、イエス様の誕生は、すばらしい喜びの知らせです。なぜなら、イエスは救い主であり、キリストであるからです。人は創造主の神様を裏切って離れてしまい、滅びの運命に捕えられて出られなくなってしまいました。自分の力では出られない、そこから神様が救い出すために、キリストを救い主として送ると言われました。ですから、キリスト以外には希望がないのです。そのキリストであるイエス様がこの世に来られました。これほど大きな喜びは他にはありませんす。今の災いの時代に、どこにも希望はありません。どうすることもできない私たちに、神様の救いと愛が届くようになりました。それがイエス様の誕生です。罪人の私たちが救われるとき、神様に最高の栄光になります。そして、人間にとっては、まことの平安、平和となります。不安、のろい、すべての滅びが消されるのは、他にはどこにもなく、ただイエス様にあります。イエスはキリストだからです。
 これほどの救い主が来られるのですから、人間の常識で言うと、立派な人のところ、すばらしい場所に来られるはずだと思うでしょうが、イエス様はローマの植民地であったイスラエルの地に、宿がなく、飼い葉おけの上に寝かされるようなところでお生まれになりました。また、最初の知らせは、偉い人にではなく、夜番をしている羊飼いに告げられました。羊飼いというのは、一番下の仕事であり、その中でも夜番をしている下っぱの人に知らされたのです。それは、神様の愛と救いは、人の条件とはまったく関係がないということを知らせしてくださるためです。イエス様が公に働きをされたときに、身分の低い人といっしょにおられたので、パリサイ人などから、それがキリストなのかと言われたのですが、それは、低いから愛と救いを受けるという意味ではなく、人間の条件とは関係がないということです。世には因果応報の考えがありますが、神様の前では、それは勘違いでしかありません。人と比べる必要も、高慢になる必要もまったくないのです。神様の愛と救いは、そのようなこととは、別次元のものです。だれからも認められなくても、自分は神様から認められて、受け入れられるという確信を持ち、世の中の考えをいっさい捨ててしまいましょう。
 神様は、どんな条件も理由も関係なく愛して救ってくださいました。神様の愛の中で新しい自分を発見しましょう。すべてののろい、罪から解放された最高に尊い自分を、救いの祝福の中で発見し、自分がその救いの祝福を味わうのを邪魔するものはなにかを見つけ出して、取り除いていきましょう。邪魔するものは、実際にはありません。世の中にだまされているだけです。自分がどうであっても、それと神様に愛されて、救いの祝福を味わうこととは、まったく関係がないので、存分に救いを喜びましょう。神様の愛と救いは、どんな弱さや足りなさも食いつくしてしまいます。ポイントは、神様がともにおられるということです。神様が認
めてくださって、聖霊をとおしてともにおられます。それを存分に味わいましょう。
 自分をみじめだと思う人は、あきらめずに神様の愛と救いをより味わうようにしましょう。自分が偉いと思う人は、勘違いをしないように、緊張する思いで、イエス様だけが自慢になるようにしましょう。世のルールがすべて崩れ、神様の恵みによって、人間の条件とは関係ない、神様の愛と救いがあふれる一週間となることを祈ります。