日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

10月9日

イエス様だけがほめられると(ルカ3:15-20)
 意欲満々なのに、急に病気になって体が自由に動かなくなったり、一番大事な場面で、過去の傷に捕らわれて倒れてしまったり、他の人には隠してごまかしているのですが、人生を生きていると、どうしようもない自分の弱さや限界を感じることがあります。複雑な世の中で、思ったとおりうまくいくことはほとんどないでしょう。そのような中で、どうすれば良いのか、今日の聖書から見てみましょう。
 バプテスマのヨハネが、メシヤが来ているから、道をまっすぐにしなさいと切実な思いで人々に語ったところ、多くの人が集まって、いろいろ神様がなさるわざも現れ、とても人気者になりました。そして、人々がヨハネこそキリストではないかと言い始めたのです。そのとき、ヨハネは、びっくりして、自分はただ道を備えるために用いられるだけで、なんの力もなく、キリストであるイエス様が聖霊と火のバプテスマを授けられるのであって、自分はその方の靴のひもを解く値打もない人間だと言ったのでした。その当時、靴のひもを解くのは、奴隷の中でも一番下の者がしたことだったのですが、それをする値打もないということです。なにかができるとしても、キリストによるもので、決して自分がやったのではないから、勘違いしないようにと言ったのでした。
そのようにヨハネは、自分のことを隠して、イエスの御名があがめられ、イエスが高められることを望んだのですが、これが人生の勝利の秘密です。そして、自分が消えて、イエスがあがめられ、高められることは、良心的に考えると当然のことなのです。そうでないと、信仰生活が重くなってしまいます。
 なぜイエスだけがあがめられ、高められるのでしょうか。人には、優れたこと、良いことはたくさんあります自分でも他人が見ても自慢できることはあります。人格的に立派な人、才能、学歴、知識、指導力など、とても役立つこともあります。また、世界も認めるほどのすばらしい実績や功績を持つ人もいます。たしかにすばらしいので、それさえあれば、幸せになれるのではないかと、勘違いしてしまうこともあります。しかし、ここではっきりさせておかなければなりません。
 人間のどんなにすばらしいものをもってしても、絶対にできないことがあるのです。人にいのちを与えること、ほとんどの人が気づいていない霊的問題の解決は、人には絶対にできません。神様から離れ、いのちの根本が断たれているのに、どんなに良いものがあっても、どうしようもありません。サタンに支配され、サタンのしわざに捕らわれた運命には、まったく役に立たないのです。ですから、まことの幸せと希望は、人間のすばらしいことでは、絶対に与えられません。
 人間では解決できないので、神様が解決のためにキリストを送ると約束してくださいました。そのキリストがイエス様です。ですから、イエス様だけに可能なのです。世にはとても良いものがありますが、キリストではありません。イエスだけがキリストです。人間に本当に必要なのは、神様と出会うことですが、キリストは聖霊と火とのバプテスマにより神様に会うようにしてくださり、その祝福が豊かに現れるようにしてくださるのです。キリストと、他の良いものは比べることはできません。明確に区分をして、勘違いをしないようにしましょう。
 救いはキリストによってだけなので、自分に優れていることがあるとか、ないとかは、まったく関係ありません。イエスしかキリストはおられないのですから、イエスだけが高められ、あがめられることは良心であり、当然、私がすべきことなのです。まず、自分の中にある考えと主張をキリストといっしょにせず、キリストだけがあがめられるようにしましょう。そして、現場においても、他のことも理論、方法でもなく、ただキリストが高められるようにしましょう。答えられるとしても、自分がなにかをして偉いかのように高ぶる必要はありません。反対になにもないからと、落胆する必要もありません。ただ、自分を隠してキリストがあがめられるようにして、大胆にキリストを伝えて行くようにしましょう。ただキリストだけを握って集中する一週間になることを祈ります。