日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
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メッセージ要約版

10月23日

第二のアダムイエス(ルカ4:1-13)
 いま、多くの人々が自分の力ではどうすることもできない災いに苦しみ、自分なりに成功したと思っていても、内側は穴があいているようで崩れて行く人もたくさんいます。精神的なプレッシャーにより、さまざまな症状に苦しみ悩み、安らぎの場であるはずの家庭にも緊張が走り、家族間の問題に、どうしようもなく押さえられています。どんなに表ではなんにもないように見せていても、実際には苦しみを出せないで抑えているだけです。そのような人々を助けて生かすことができるクリスチャンが、無気力で力がない状態になっているので、世の中は暗くなるしかありません。どのようにすれば、クリスチャンの祝福を味わい、使命を持ち人々を助けていくことができるのでしょうか。
 そのポイントは、信じて救われた自分と同行してくださっているイエス様が、どういう方かを理解することです。それゆえ、聖書が与えられているので、みことばを読むたび、メッセージを聞くたび、イエスがどういう方なのか目が開かれ、力強く丈夫なクリスチャン人生になるように祈りましょう。
 今日の聖書からイエスがどういう方かを見ましょう。イエス様が悪魔の試みにあわれました。これは、簡単な意味ではありません。イエス様はわざわざ荒野に出て行き、40日間断食をして人間としては極限の状況に自分を追い込んで、試みにあわれたのです。それは、最初のアダムの失敗から見て行く必要があります。
 最初に創造された人間であるアダムは、罪がない完ぺきな「神のかたち」として創造された存在でした。唯一、肉があり、たましいを持っている霊的な存在として創造されたのです。悪魔という霊的な存在がいることを理解して、悪魔の力を退けて、神様に礼拝することができる最高の存在だったということです。ところが、そのアダムが悪魔の試みにあって、失敗してしまったのです。
 まず悪魔は蛇を通して「すべてを食べてよいと言われたのか」と、神様の完ぺきな祝福に対して、不満を持つようにさせました。「すべて」ではなく例外があると、少し不満の要素を持つと、すぐさまそこに「神様には、別の意図がある」と神様を疑わせるようにさせました。そして、最後に「神のようになる」と言って、神様が要らないという結論を出させて、神様から離して倒したのです。アダムが失敗してから、すべての人類が罪の中に生きるようになりました。この失敗を取り戻して助けられるのは、人間の中にはひとりもいないのです。
 それで、イエス様が第二のアダムとして、悪魔の試みにあい、完ぺきに退けて勝利してくださいました。同じ内容で悪魔が誘惑してきました。「神の子なら」と身分の祝福が十分ではないかのように不満を持たせようとして、次に神殿の頂から飛び降りたら天使が守ると言って、神様を試みて疑わせようとし、そして、悪魔をおがむならすべてをあげようと「あなたが神のようになる」と誘惑してきたのです。しかし、イエス様は完全にそれらを退けて勝利してくださいました。
 つまり、イエス様はアダムとは違うお方であり、悪魔に打ち勝って、アダムの失敗を根本的になくしてくださった方であり、それによって失った神のかたちを回復してくださった方です。つまり、イエスはキリストなのです。
 それなら、私たちの人生最高の課題(テーマ)は何になるのでしょうか。自分の失敗をどうにかしようということではありません。悪魔の試みに打ち勝ち、失敗を根本からなくしてくださり、すべての祝福を回復してくださったイエスを信じて受け入れることが、最高の課題になります。そして、イエスを信じて受け入れたら、そのイエスを豊かに味わうことが最高の課題なのです。福音とは、イエスによってすべてが終わるということです。すべての祝福を味わい、神の国を待ち臨みましょう。そのように味わうなら、イエスを知らない人々にイエスを伝えて、イエスで答えを与えることが最高の課題になります。
 過去、現在いろいろあっても、すべてイエスで終わりにしましょう。そして、終わりに思えない自分を捨てましょう。そして、イエスの中にある祝福を味わい自分の現場を伝道の現場に変えていきましょう。すべてをイエスの中で見つけて味わう一週間になることをお祈りします。