日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
http://jremnant.net/


メッセージ要約版

10月30日

祝福の意外性(ルカ421-30)
 神様の祝福はだれに与えられるのでしょうか。それは、人が一般的に考えている基準やイメージとは違う意外性があります。自分が祝福されていることは疑う必要がないと理解して、祝福を味わい楽しむなら、その祝福によってまず自分が生かされ、他の人も助け、現場も生かされるようになるでしょう。
 神様の祝福は人の条件とは無関係に与えられます。一般の概念として、やさしく思いやりがある人、家系の背景が良い人、成功した人、人格が良い人、犠牲の精神がある人、正義感がある人、助ける人などが祝福されると思っています。今日の聖書に出てくる人々は、自分たちがユダヤ人だから祝福されると思っていました。このように、一般的には人の条件で祝福が左右されると思っています。しかし、イエス様はそれではないと言われました。イスラエルが祝福されるのが当然と思っているかもしれないけれど、エリヤの時には異邦人が祝福され、敵のナアマン将軍が祝福されたことを言われたのです。このイエス様のことばに人々は怒りを覚えたほど、これは意外性のあることだったのです。
 今日の聖書は、イエス様がご自分の故郷に帰られたときのことですが、故郷の人々が集まってきて、イエス様に向かって「他ではいろいろ立派なことをしてきたが、私たちはあなたが大工の息子だと知っている」と言ったのです。そこで、イエス様が残念に思いながら「あなたがたは祝福の基のイエスが来ているのに、知らないのか。それでは、あなたがたは祝福されない」とおっしゃったのでした。
 祝福の条件はイエス様だけなのです。なぜなら、イエスはキリストだからです。創世記3章の問題の唯一の解決者ですから、イエスを受け入れないと神様に会えず、神様から離れた真っ暗な人生のままなので、なにがあっても祝福とは言えないのです。イエスを受け入れないと、罪ゆえの刑罰がとどまり、のろいの運命のままです。そして、のろいをもたらす張本人であるサタンから出てくることもできません。イエスだけが、神様に出会い、いのちが与えられ、罪とのろいの運命から完全に解放され、暗やみが離れる祝福が与えられる唯一の道です。祝福の条件はイエスだけで、人類の希望はイエスだけなのです。世には良いものがたくさんありますが、救われるべき名は他にはありません。必要なことと、希望は違います。キリストであるイエスが祝福の条件で、その次はないので、最後の希望なのです。
 そのイエスをキリストとして信じ受け入れた人が祝福なので、自分が祝福の人であることを確信しましょう。病気や問題がまだあるとしても、それは祝福の条件とはまったく関係なく、滅びやのろいは終わったのです。イエスは光ですから、暗やみとは共存できません。クリスチャンには祝福だけしかありません。天にあるすべての霊的な祝福をもらっていて、この祝福ゆえに地上を治めて征服できるのです。イエスを受け入れたとたん、世の光となっています。そのような自分になっていると確信して、感謝しましょう。
 あまりにも意外なので、感謝できないと思うかもしれませんが、祝福の条件はイエスだけですから、自分や世の基準を捨ててイエス様だけを残しましょう。そして、条件を越えて、自分が祝福の存在であるという確信とプライドを持つようにしましょう。そして、感謝をもって、ただちに祝福の伝達者、伝道者として立ちましょう。自分は意外にも祝福された存在なのだという確信を持って、人生のメインテーマを伝道にし、すべて伝道のために生きるとき、祝福が証拠として現れるでしょう。祝福された確信を持って、神様に感謝し、祈りのときに幸せを確認する一週間になることを祈ります。