日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
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メッセージ要約版

11月20日

新しいぶどう酒は新しい皮袋に(ルカ5:27-39)
 人は考えがどうであるかによって、生涯が左右されます。どのような考えを持っているかは、内側にある考え方の枠、基準によって生まれます。その枠、基準が変われば、幸いな勝利の人生になります。礼拝を通して、自分の内側の枠、基準に目をとめるようにしましょう。
 今日の聖書箇所は、イエス様が取税人やその当時、神様から見捨てられたと思われていた人々とともにおられるのを見たパリサイ人、律法学者が、イエス様が本当にメシヤなら、そういう人とはいっしょにいないだろうと言い、また、断食をしたりお祈りをするのが敬虔な生活なのに、イエス様の弟子たちはそのような生活をしていないから偽物ではないかと言った場面です。パリサイ人や律法学者たちは、自分の考えが当然で当たり前だと思っていたので、その考え方の枠と基準で見るしかできず、本当に必要な新しい、本物が来たとしても受け入れることができなかったのです。このように、考え方の基準がどこにあるべきなのか、それを修正することが大切なテーマです。
 イエス様以前の基準をそのまま持っていると、その枠に自分がひっかかるようになります。イエス様以前の基準では、義人(正しい人)は、まじめにがんばって律法を守る人で、罪人とはだめな人間や悪いことをする人だという考えでした。それで、メシヤが来られるなら、義人のところに来られるのが当然だと思っていたわけです。また、道徳的にすぐれていて、がんばる人が祝福され、そうではない人は呪われると思っていました。このようにすべて、かたち、外見で考えていたのです。また、敬虔道徳、律法、伝統といった外見、人のうわべが基準でした。それがベースの枠となっていたので、イエス様がおかしくて受け入れられなかったのです。
クリスチャンは勝利して当然なはずなのに、考え方の枠が壊れないので、イエス様以前の枠にとらわれて、なにかのせいにして、神様の答えを味わうことができません。その枠をサタンが握って離れないようにさせるので、とても残念な状態になってしまいます。イエス様以前の基準にとらわれないようになり、まことの自由と平安を味わうようにしましょう。
 ではイエス様以降の基準はどのように変わるのでしょうか。それは、すべての基準がイエス様になるのです。イエス様が世の中から捨てられたと言われる人たちといっしょにおられたのは、その人々が良かったからではなく、その人々は自分が罪人と分かり、罪のゆるしには神様の恵みが必要で、そのためにイエス様が必要だと分かっていたからです。そのように、イエス様のほうに向かうこと、イエス様に近づくことがなのです。また、病気や貧しさがなくなることが祝福なのではなく、イエス様とともにいることが祝福であり、イエス様から遠ざかり、認めないことが罪、のろいなのです。そして、まことの敬虔な生き方は、外見ではなく、イエス様のことをよくわかり、イエス様を喜び、味わうことです。このように福音の新しい枠で、自分の基準が変わるようにしましょう。ただイエス様だけが基準です。
 なぜなら、イエス様だけが唯一キリストだからです。人間の問題、罪の問題を解決した神様が約束された唯一の答え、唯一の希望です。イエス様は絶対的な希望であり、完ぺき、完全な希望です。すべてが崩れ、すべてがイエス様から新しく始まるのがまことの人生です。パウロも「キリスト・イエスにあって」ということばをもっとも多く使いましたが、イエス様から始まることこそ、霊的戦いの本命であり、一番大切なメッセージなのです。
 イエス様を受け入れたので、自分は死に、キリストを信じる信仰によって生きる(ガラテヤ2:20)と告白して、以前の枠を捨てましょう。そして、イエス様にあっての新しい枠で、新しい自分を発見し、祝福の自分であることを発見して新しくスタートしましょう。自分のテーマはなにかを、新しいイエス様の枠から見つけ、イエス様の中に入り、ただ聖霊の満たしを求めて勝利する歩みになることを祈ります。