日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
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メッセージ要約版

12月11日

人生の反転(ルカ6:20-26)
 幸せになることは、人生の最大、永遠のテーマだと言えるでしょう。しかし、そのテーマの答えが見つからずにさまよっている人が多いのではないでしょうか。今日の聖書から、私たちは答えを握り、確信を持って幸福の伝道師として歩みはじめましょう。
 今日の聖書は、イエス様が弟子たちを集め、その中に混じっている「自分は幸せだ」と自慢している人に向かって語られた内容です。
 人々の幸せの基準は、見えることができる部分での判断です。イエス様の前にいた人々も、富んで、食べ飽きて、笑って、ほめられる者は幸いな人だろうと思っていました。その当時は、一日3回食べることがあるかないかということがテーマになるような時代ですから、そこで食べ飽きるほど富んでいて、うまくいって良いことがたくさんあるから笑っていて、人からほめられたら幸いだと思っていたのです。反対に貧しく、飢えて、泣いて、憎まれる者、つまり、生活に困り、悲しむ状況があり、まわりから指さされたり、悪口を言われ、憎まれるのは不幸だと思っていました。いまも同じで、よく勝ち組と負け組と言われますが、その評価基準も、イエス様の前にいた人と同じことで、それによって自分が勝ち組だと思う人は優越感、負け組だと思う人は劣等感を持って生きているのではないでしょうか。
 そこに向かってイエス様は人生の大逆転になることをおっしゃったのです。貧しい者は幸いですと言われました。その理由は神の国がその人のものだからです。このように、イエスによって人生の大どんでん返しが起こります。貧しいから幸いなのではありません。負け組と言われる人々は、心に飢え渇きを覚え、人生が何かを考えて見つめなおす材料になるので、幸いなのです。そこで、心が謙虚になり、自分が本当に根から罪人だと人生の本当の姿を見出し、人生は泣くしかなく、ただ神様の恵みとあわれみと愛しか希望がないと気づくようになり、神様を見上げ、神様の助けを求め、イエスがキリストとわかり、イエスを信じて受け入れるようになるのが幸いなのです。
 自分が勝ち組だと思っている人は、自分が生きていけると勘違いしていて、高慢になり、イエスが不要だとなります。そのようにして、イエスを信じないなら、いずれ、泣くようになり、飢えるようになり、憎まれる者になります。イエスが幸せの基準です。
 なぜなら、イエスはキリストだからです。まことの創造の神様と出会う道であり、目に見えずに滅ぼす、なにによっても勝てないサタンを打ち破って勝つ道であり、罪とのろいから解放される道であるキリストは、唯一イエスだけです。イエスがいらないと言うなら、永遠のいのちのない状態で、サタンの奴隷として永遠にほろびる運命に捕らわれるしかありません。どこが幸せでしょうか。
 イエスにあって、自分がどれほど幸せな者になっているのかという確信を持つようにしましょう。イエスが基準ですから、どんな人間や状況も関係なく、イエスを信じて受け入れた自分は幸いで、幸せな者だと揺れない確信を持ちましょう。暗い部分、否定的な部分を持つ必要はありません。そうすれば、神様が用意してくださっている本当の祝福が見えるようになってきます。日々、わざわざその幸せを思い出して、数えるときを持ち、幸せを味わいましょう。そうして、与えられているまことの幸せを、まことの幸せを知らない人に伝えていく、幸福伝道者として残りの生涯を歩んで行きましょう
りします。