日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
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メッセージ要約版

12月25日

盲人がどうやって(ルカ6:37-45)
 神様が大事にしておられ、地球を動かしておられる中心は、「人」です。人を正しく理解することによって、人との関係で本当に成功することができ、それが人生の勝利の始まりになります。イエス様は、弟子たちに向かって、イエス様を信じて神様の民になった者は、外見はそれまでと同じでも、天の御国がその人に臨むので、生き方も道徳もまったく違うレベルになると語られました。そして、その続きで今日の聖書箇所にある「人をさばいてはならない」と言われたのですが、それは、そのときに人を教えて、偉そうにして、他の人を罪に定めていた律法学者やパリサイ人に、本人たちはみこころにかなっていると思っていたのですが、実は「あなたがたは盲人であり、盲人が盲人の手引きをしたら、いっしょに穴に落ちるから、してはならない」と言われたのでした。そして、まず、自分の目にある梁を取り除きなさいと言われました。どんなに自分が正しいと思っていても、正しく人を理解していず、なにが必要なのかわからないままだと、正しい指導もできず、おかしいのだということです。
 正しく人を理解するために、まず必要なのは、自分の目には梁があるということを気づかなければなりません。その梁とは「霊的問題」のことです。創造主である神様がこの地球を造られたとき、すべてを管理して、神様の栄光を表す存在として、人間だけ「神のかたち」に創造されました。人間だけが、神様に祝福され、神様とともにいて、神様の栄光を表して生きる存在だったのです。ところが、サタンにだまされた人間が、罪を犯して堕落してしまったのです。そして、暗やみの力、のろいの運命に捕らわれて、抜け出せない不幸の人生を歩むようになりました。それ以来、すべての人が罪を犯した状態で生まれてくるので、生まれながら御怒りを受けるべき子として生まれてくるようになったのです。これは、だれも例外なくすべての人がそうなので、人は上下をつけますが、神様の前ではみんな同じなのです。罪の問題は、人間では処理が不可能です。これが「梁」です。
 みんなに「梁」があるという、霊的な事実を知らないので、人間は、律法と道徳が最高の基準だと思うようになりました。そして、その基準で人をさばき、基準を守れたら高慢になり、その基準が守れなかったら挫折して生きるようになったのです。世の中を生きるのにルールは必要ですが、最高の基準にすることはできないのです。そのようにして、霊的なことが分からずに基準を決めているので、順番の前後がめちゃくちゃになっています。分かるなら、まず、自分の梁を取り除かないといけないのですが、分からないから他の人のせいにしたりするのです。それでは、勝利もなく、祝福を味わうこともできません。終わりのない迷宮をさまようしかないのです。
 まず、霊的なことに目が開かれるべきです。霊的な事実が分かるようになれば、自分の罪が分かるので、自分で良いとか悪いとか決めてさばくことは、自分にはできないことがわかります。そして、まず自分の梁を先に取るべきだということがわかります。優越感も、劣等感も関係なく、みんな神様のあわれみと恵みが必要な存在なのだと分かるようになり、自分が根本的にいやされるべきだと、根本のいやしを求めるようになります。その根本をいやそうとするなら、罪なきキリストしかないので、キリストを優先するようになるのです。神様ともういちど会って、いのちが与えられ、サタンとのろいから解放されるのは、ただキリストだけです。自分の梁を取り除く鍵は「キリスト」だということです。そのキリストがイエスです。キリストが必要だとキリストを最優先にするようにしましょう。
 イエスがキリストなので、自分の梁に気づくと、梁を取り除くキリストを受け入れるようになります。そのときから、変わるようになるのです。そして、他の人も、根本的ないやしを受けることが必要だと、どうしたらキリストを伝えられるのかと考えるようになります。それで、律法よりキリストを優先するようになるでしょう。また、さばいたり、憎しむことは霊的なことに基づいていないことなので、不要だと分かるようになります。キリストによって梁が取り除かれるので、感謝とあわれみと愛だけを持って、福音で人々を生かす生涯を送るようになります。まず、自分を見るようにしましょう。自分が見えないのが霊的問題です。自分の梁をキリストによって取り除いてもらい、キリストによる聖霊の力で、すべての重荷をおろして、霊的な喜びを持って新しい年を迎えましょう。