日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

2012年1月22日

イエスにある自分発見(ルカ7:18-28)
 自分が思ったとおりにうまく行かないとき、限界にぶつかって、環境が厳しく、険しくて難しさを感じるとき、そのときにイエスがどういう方か正しく知り、イエスの中に入り、その中にいる自分を発見することが問題解決の鍵です。そのようにイエスに向かうべきなのに、違う方向に行くようにまどわすサタンがいて、イエスに焦点を合わせないようにと邪魔して来ます。それにだまされないで、イエスの方に焦点を合わせるなら、必ず勝利するのです。
 今日の聖書箇所では、バプテスマのヨハネがイエス様のところに自分の弟子を送って「あなたがキリストですか」と尋ねた場面です。つまり、バプテスマのヨハネは自分が思っていたキリスト像とイエス様が違うので、イエスが本当に待っていたキリストなのかどうかと疑いを持つようになったということです。それでイエス様が「わたしにつまずかない者は幸いです」と言われたのでした。
 なにがあってもイエスにつまずいてはいけません。どんなにうまくいかず、祈っても答えがないとしても、「本当に信じて良かったのか。イエスは本当にすべての問題を解決されたのか」という思いを持つならば、それはイエスにつまずいているということです。信仰は、疑い、迷い、中途半端になると、勝利とは結び付きません。信仰とは確実、絶対的なものなので、積極的になるべきなのです。なぜイエスにつまずくかというと、イエスに出会う前に刻印されている違う幸福感、人生観があるからです。ヨハネは、そのとき一番大きな問題はイスラエルが属国になったことだと思っていたので、キリストが来られたらその属国の状態から解放されると思っていました。それゆえ、イエス様がなさっていることは、それではないのでつまずいたのでした。
 イエスにつまずかないで、かたく動かないイエスがキリストだという揺れない確信を持って告白しましょう。状況がどうでも、イエスはキリストです。その証拠は、処女から生まれ、神様しかできないわざをなされ、預言通りに十字架で死んで復活されたことです。先に入っている幸福観、霊的なことではない肉による価値観はすべて否定して、イエスはキリストだと告白しましょう。なにがあっても、それでもキリスト、だからキリスト、結局キリストと告白し続けましょう。
 そして、ヨハネのように遠く離れて見ているのではなく、イエスのみむねに飛び込みましょう。まず、自分の心を開いて自分の救い主として信じ受け入れましょう。そして、自分の人生の主人としてお迎えしましょう。イエスのみむねに飛び込むことは、イエスと私がひとつとなること(ワンネス)で、それを「いのち」と言い、天の御国の祝福を持つ、天の御国の人なることです。このように人生が丸ごと根本からひっくり返るようになるのです。イエスに飛び込むと、内に神様の霊である聖霊が住んでくださるようになるので、神様が私たちの人生にあらわれるようになり、環境や私たちの弱さとは関係なく、神様のいのちの力が人生を引っぱって行くので、言いわけ、不安はいらなくなります。
 そのように天国の民になったことを確認して感謝するようにしましょう。バプテスマのヨハネは、それまでの預言者の中でいちばんイエスに近い存在だったので、すぐれているとほめられたのですが、しかし、そのヨハネは、天の御国の人のいちばん小さい人より小さいと言われました。イエスをキリストとして信じて受け入れた自分は、大きな祝福の者であると信じましょう。旧約時代の人々は、聖霊が内住して二度と離れず、永遠に導かれるような祝福を受けたことはありません。イエスを受け入れた瞬間から、のろい、罪の力から完全に、永遠に解放されました。本当に祝福された者だと認められない古い人は、十字架で死んだと告白しましょう。神様には失敗はありません。自分の弱さは心配することではなく、それを通し証人としての祝福が与えられ、天の御国は保証されているのです。
イエスにつまずかないように、イエスより先に入っている知識、価値観、幸福観を見つけたらすてていきましょう。そして、なにも迷わずにイエスを積極的に求めて飛び込みましょう。そして、天の御国の祝福を積極的に発見して感謝しましょう。その祝福を持っている者であるというプライドをもって告白しましょう。聖霊がともにおられる祝福を積極的に味わうことを祈りと言います。正しく自分を発見して、聖霊の導き、働きを求めて祈ることがすべてです。イエスの中に積極的に飛び込み、感謝して、おたがいに感謝のフォーラムができる一週間になるようにお祈りします。