日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
http://jremnant.net/


メッセージ要約版

2012年2月12日

みことばがまかれる良い地(ルカ8:4-18)
 イエス様が種まきのたとえを語られました。種はみことばのことで、みことばを聞いても悪魔が救われないように持って行ってしまう人、聞いて最初は喜ぶのですが、根がないので試練に耐えられず途中でだめになる人、みことばを聞いても世のさまざまなことや誘惑に惑わされて成長しない人がいる中で、正しい良い心でみことばを聞く人は、みことばが実を結ぶようになり、想像をはるかに越える実が結ぶということを言われました。そのあと続いて、光によってすべてがあきらかになるので、聞き方に気をつけなさいと言われ、みことばが自分のものになっている人は、与えられ続けますが、そうなっていない人はすべて奪われるようになると言われたのでした。ここから、みことばを聞いている自分がどれほど祝福された存在なのかを感謝して、みことばを根拠にした正しい確信とプライドを持って歩むようになりましょう。
 まず、神のことばである福音は、絶対的ないのちです。それゆえ、種にたとえられているのです。世の中は、問題があるとチャレンジして解決でき、改善できると思っていて、それにより、発展してきたのですが、しかし、人間には絶対に解決できないことがあるのが事実なのです。それは霊的問題で、どんなにすばらしく発展しても、戦争、悩み、家庭崩壊、麻薬、精神病などの問題は解決しません。すべての人が罪を犯したので(ローマ3:23)、いまもサタンに従っていて(エペソ2:2)、神の御怒りが留まっているのです(エペソ2:3)。それゆえ、どんなに発展して改善しても、不幸のまま崩れていき、幸せは訪れません。人間は霊的問題を解決することができないので、神様がその霊的問題を解決するために、キリストを送ると約束してくださいました。キリストだけが、霊的問題を解決できる道で、他にはありません(使徒4:12)。そのキリストがイエスです。イエスがキリストであるゆえに、イエスを信じることによって、人間が解決できない霊的問題が解決して、信じた人は救われます。これが、神のことば、福音です。ですから、神のことばは絶対的ないのちなのです。イエス・キリストを信じるか、信じないかによって滅びか永遠のいのちなのか分かれます。それゆえ、聞き方に注意しなさいと言われたのでした。
 神のことば、福音はいのち、そのものなので、それによって人生の白黒ははっきりと分かれます。神のことばをどのように受け入れるかによって、分かれるので、みことばを受ける側に問題があるのです。それに対する反応で、結果があきらかになります。神のことばを信じ、受け入れ、礼拝をささげている人は、本当に幸せな人です。自分が幸いな人間なのだと、福音を基準にして考えるようにしましょう。福音を基準にすれば、すべての人は罪人ですから、イエスがキリストと信じ受け入れた人が正しい人で、拒否する人が悪ということになります。どんなに自分の財産を出して貧しい人を助ける人であっても、イエス・キリストを拒否する人なら、悪であり、不幸な人なのです。神のことばを信じて受け入れた人が幸いな者で、神様を愛する人なのです。
 そのように神のことばを受け入れた人は、人生を生きるうちにいのちの実を結ぶようになります。神のことばはいのちだからです。いのちは聖霊で、聖霊がうちに住まわれるので、想像もできない天国の実を結ぶようになります。しかし、福音を拒否する人は、すべて奪われるようになり、崩れるようになります。初代教会は、迫害され、逃亡して、隠れた、弱い人々で消えてしまいそうだったのですが、いのちなので、そのまま終わることはなく、のちに国教として認められるほどになりました。イエスがキリストとして信じて受け入れたら、いのちを持っているので、そのまま終わるはずはなく、落胆したり、目の前のことで振り回されることなく、いのちの実がむすばれることを 信仰を持って待ち望みましょう。いまはそうでなくても、キリストの日まで成し遂げるという約束がありますから、かならず変わるようになります。福音の人となり、福音を伝えるためにオールインする格好よい人生となり、生きる理由も変わるようになります。個人が変わると、家庭や現場に祝福が及んで実を結ぶようになり、かならず人を生かし、助けるようになります。そして、教会でも実を結ぶようになります。信じればよいのです。
 神のことばはいのちなので、自分を新しく再確認しましょう。自分の心は良い地であり、幸せであり、神様を愛し、神様から愛されている者であると自分を認めましょう。そして、可能性が無限大にあることを希望と期待をもって待ち望みましょう。いのちの実が結ばれることを信じて、神様を見上げ祈って行くだけでよいのです。かならずいのちの実が結ばれることを祝福します。