日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
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メッセージ要約版

2012年2月26日

悪霊がふるえるイエス様(ルカ8:26-39)
 個人も社会も、良い人生、良い社会のために一生懸命に努力して、その結果、発展をしています。しかし、そのように発展しているのにもかかわらず、人々が願っている幸せは手にいれることができずにいます。それは、世の中には目に見える世界と、目に見えない世界があるのですが、人々が目に見えない世界しか考えていないからです。実は、目に見えない霊的な世界が中心であり、その世界に目が開かれると、なにが大事なのか、価値観から方向、考え方まですべて変わるようになります。
 今日の聖書は、その目に見えない世界が表に現れている場面です。長い時間、服も身につけず、落ち着いて家にいることもできずに墓場で暮らし、たまに発作を起こし暴れる悲惨な人生を生きている男の人が出てきます。その人について聖書では、はっきりと「汚れた悪霊につかれていた」と書いています。その人にイエス様が現れて、その人の中の悪霊を追い出されて、男の人は正気になったのですが、悪霊が豚の群れに入って豚が大量に死んだので、その地方の人々は恐れて、イエス様に出て行ってくださいと言ったのでした。ここで、男の人が正気に戻ったことがメッセージなのではなく、私たちが信じ受け入れたイエス様が、悪霊がふるえ、追い出される唯一の方であり、偉大な方であるということがテーマです。
 まず、悪魔(サタン)は、もろもろの悪霊を通して、人と人の人生を悲惨なものにしていることを心にとどめましょう。人は神のかたちに創造されたのに、神様を離れ、罪過と罪の中で死んでいる者となったので、根本的に悪霊に支配されて苦しむしかない状態で生きていくしかありません。その中で、偶像崇拝やさまざまなイデオロギーや思想を持って、悪霊が働くしかない背景を持つようになります。その状態にいる途中で、いろいろなショックな事件などのきっかけによって、悪霊が心と思いと脳を具体的に掌握するようになり、個人にも社会にもあらゆるかたちで現れるようになるのです。最初は不安など心理的なことであっても、それが自分の意思が持てないように深く入って行き、最後には悪霊の声に従うしかないようにまでなります。このような霊的な世界があると知って、現場で苦しむ人を見る目が開かれるようになりましょう。
 悪霊による霊的な苦しみや不幸は人間の手にはおえないものです。多くの人は改善しようと努力するのですが、人間の手では霊的な問題は解決不可能です。悪霊には、世にあるどんなものにも恐れることはありません。
 そこにイエス様が来られたのです。そこで、はじめて悪霊はぶるぶるふるえるようになりました。悪霊は、イエス様の前でのみ崩れ、追い出されるようになります。なぜなら、イエス様は創世記3:15に預言された、蛇の頭を踏み砕く女の子孫、キリストだからです。人間では絶対に手に負えない悪魔(サタン)、悪霊の霊的な力を打ち砕き、勝利できる唯一の方がイエス・キリストです。イエス様と出会い、イエスがキリストだと信じ、心に受け入れるときに、目には見えませんが、聖霊が内側に入ってくるようになり、悪霊は永遠に追い出されるようになり、人生が根本から変えられます。
 豚を飼っていた人々は、イエス様がだれか分からずに、おそれて、その地方から出て行ってくださいと言ったのですが、唯一、悪霊につかれていた男の人は、イエス様のことを分かって、おともしたいと言いました。それまで不幸と思うしかない人だったのですが、それによってイエス様がだれかを分かったのです。霊的な苦しみ、不幸は大きな祝福だと見方を変えましょう。イエス・キリストと出会い、イエス様がだれなのか明らかに分かることこそ、祝福です。その目で自分もまわりも見るようにしましょう。そのとき、解決不可能な問題があることは、キリスト以外には答えがないと、キリストの絶対的な必要に目覚めるきっかけになるので、そのことが感謝になります。考え方を変えるようにしましょう。イエス様をキリストと告白した唯一の人を通して、多くの人がイエス様のことを知るようになりました。これが本当のいやしです。自分の問題を通してキリスト以外は答えがないと徹底的に分かると、イエス様のため、福音のために生きる人生に方向を定めるようになります。これが、祝福の人生なのです。
 今週一週間、イエスがキリストなら、信じているともにおられる自分がどのような存在なのかを考えましょう。ほろび、のろい、悪霊とは関係なくなり、聖霊がともにおられます。どんな問題、弱さも、もはや不幸ではありません。問題や弱さに聖霊の力が働かれ、結果は神様が表され、多くの人を助ける道具となります。だまされずに、イエス様はだれか、自分はだれかを考えて、人々を助ける見張り人として、聖霊の働きを祈るようにしましょう