日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

2012年6月10日

悲しい勘違い(ルカ10:25-37)
 人は勘違いをすると違う方向に行ってしまいますが、特に信仰や人生で勘違いをしていると、希望はなくなってしまいます。今日、無意識に勘違いして、自然に考えていることから抜け出して、真実、真理を握って生きて行こうという決断、決心があるように祈ります。
 今日の聖書箇所で、律法の専門家がイエス様を試そうとして質問しました。それに対して、イエス様は逆に質問されて、律法を守れば神様に認められて祝福されるとかたく信じているのなら、そのとおりにしなさいと答えられました。それは、すでにその律法の専門家には答えの教理があり、その勘違いによる質問なので、サマリヤ人のたとえを言われることによって、なにも分かっていず、勘違いしているのではないかと言われた内容であり、律法を守りなさいとか、サマリヤ人のようにしなさいという意味ではありません。
 永遠のいのちを得ること、つまり人の幸せは、人間のなにかの条件によって左右されることではありません。創世記4章でカインは、自分なりに考えてまじめにすれば通じると勘違いをしていました。それが宗教です。私たちも、自分ががんばる分、天が動いて人生の道が開くだろうと一生懸命にしますが、それは本物の幸せにつながることはありません。創世記6章のノアの時代の人々は、豊かになり、生活も豊かになって、発展すると幸せになって、問題がなくなると思っていました。しかし、どんなに金持ちになって豊かになっても良くなるとは限らないことは、歴史的にも客観的に見ても分かることでしょう。しかし、多くの人が裕福だと幸せで、貧しいと不幸で、健康だと幸せで、病気だと不幸だと決めています。勘違いに捕らわれないようにしましょう。また、創世記11章では、科学、教育、技術や文明が発展したら良い人生になると勘違いしていましたが、一瞬でバベルの塔が崩れたように、そのようなものは一瞬で崩れてしまいます。なにかがないから不幸だと思ったり、過ちや悪いことなく正しく生きていれば良いと思って、それができれば自分を誇り、できないと落胆していますが、それはすべて勘違いです。
 人間の霊的問題を知れば、なにも役立たないことが分かります。すべての人は、どうであってもまったく関係なく、罪と罪過で死に、神様との関係がまったく絶たれて、悪魔に完全に支配されています。それらには、熱心、裕福さ、発展などなんにも役に立ちません。悪魔のしわざである霊的問題を解決することはできないのです。ですから、人の条件で幸、不幸は決められないこと、人には希望はなく、世の中には道がないことを心に刻みましょう。
 神様と出会い、悪魔に勝利し、罪を完ぺきにあがなわれるのはキリストしかありません。霊的問題が分かると、道はキリストしかないことが分かります。そのキリストがイエス様なのです。イエス様だけが永遠のいのちの道です。いろいろな奇跡、教えは、すべてイエスがキリストであるという証拠です。いろいろな道の1つだと考えるのではなく、イエス・キリストしかないと告白しましょう。そして、すでに頭に入っているいろいろな考えを片づけて、他のすべてのものとは区別しましょう。それが本当の自由です。勘違いから抜け出すと、必ず勝利します。ただイエス様だけになると、現場で勝利するようになります。イエス様からスタートして、すべてを改めるようにしましょう。
 そして、イエス・キリストを信じて受け入れたら、イエス様だけでは足りないと勘違いして、他に頼ることを作らずに、イエス様の中にすべてがあることを告白しましょう。イエス様で十分です。そのときに神様の力を体験することができます。天にあるすべての霊的な祝福をすでにもらいました。イエス様の中に知恵と知識の宝が入っていて、すべてがイエス様にあってひとつとなります。イエス様が天と地のいっさいの権威をもって私たちとともにおられます。どんな状況でも足りないことはありません。祈れば神の国が臨み、それで十分です。約束を信じて待てば、聖霊が働かれるので、それで十分なのです。その力で、勘違いしている人を助けることができます。心配せずに祈りに集中して、イエス様を人生の答えだと伝える伝道に人生をかけるようになりましょう。
どうしても、勘違いしていて、混乱している人は、霊的問題がなにかを教えてくださいと祈りましょう。そうすれば、キリストしか答えがないと分かり、イエスはキリストという告白をゆずらないようになるでしょう。
 人の条件による自慢、落胆、うらみなどはいっさい勘違いなので、捨ててしまいましょう。そして、イエス様しかないことを決断して、他のことをイエス様の前でおろしてしまいましょう。他のことは気にする必要がまったくないのです。そして、イエス様にあって毎日フェスティバルをしましょう。なにがあっても、まずイエス様を思い出して個人的にフェスティバルをするようにしましょう。日曜日は、そのフェスティバルの集大成として礼拝に集まるようにしましょう。すべての勘違いを捨てて、イエス様が希望で自慢になる一週間になるように祈ります。