日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

2012年7月8日

包装されている人生(ルカ11:37-44)
 人イエス様は地上に来られたとき、立派な人、金持ち、知識人、偉い人ではなく、世間から貧しい人、疎外された人、病気の人などとともにおられました。なぜでしょうか。それは、貧しい人、疎外された人、病気の人は、自分自身を包んで飾る包装が破れてしまって、人生の内側の本当の姿が現れるようになり、自分たちはなにがあっても幸せではなく、神様の恵みと助けが必要だと気づく状況だったからです。そうではないパリサイ人や立派な人々は、包装できる良いものを持っていたので、自分の本当の姿や人生を見ることができず、自分はそれで大丈夫で幸せだと勘違いしていたのでした。今日の聖書箇所で、イエス様はパリサイ人の家に食事に招かれ、そこできよめの手洗いをしないことを言われたときに、パリサイ人たちは外側にこだわって、内側はまったくだめになっていることを指摘されたのでした。
 人はどんなに包装しても、内側を変えることはできません。まじめに生きること、ルールを誠実に守ること、伝統や宗教を守っても、肩書き、階級で成功したように見えるとしても、それらは包装にすぎず、人の内側は生かすことはできません。どんなものも、人生の本当の祝福であるいのちのかわりになることはできないのです。神様から離れた人は、地獄にまで引っぱって行くサタンに支配されている悲しい存在です。外側をどんなに包んでも、内側はくさっていくのです。
 そして、立派な包装は、人生を混乱させ、勘違いの中を生きるようにさせてしまいます。その結果、本当の必要がなにかわからず、違う道に行くしかないので、最後は滅び、失敗しかありません。かえって、なにもなく、自分はだめだから、イエス・キリストしかないと気づくのが幸いなのです。いまだに、包装で評価しているなら、その考えを捨てるようにしましょう。それは、勘違いにすぎません。包装することを手に入れようとがんばると、その結果は、野望、落胆、比較、劣等感を持つようになるしかなく、かえって重荷を負うだけです。そして、なにかを求め続けるしかないので、終わりのないさまよいが続きます。そのような包装にこだわることは、イエス様が見えないので、わざわいなのです。
 イエス様でないと人生は変わりません。なぜなら、イエス様を信じるとき、人に必要ないのちが与えられるからです。イエスだけがキリストです。その確信と、そのキリストを信じた自分にプライドを持つようにしましょう。まことの神様に会う道、罪から解放させてくださる方、罪を通して地獄に引っぱって行く悪魔に勝つ方は、キリストしかありません。そのキリストがイエス様です。イエスをキリストと信じるなら、いのちが与えられ、内側の暗やみがすべて去り、神様の力と導きを受ける祝福の人生に変えられるのです。信じるとき、根本から変えられ、二度と滅びることはありません。根本から内面が変えられるので、外は必要に応じて時刻表に合わせて神様が変えてくださいます。そのイエス様を、自分の包装で見えなくなっていることが「わざわいだ」と今日の聖書で語られたのでした。
 自分なりに、自分の人生を飾って包もうとしている包装はなにかを見て、包装はすべて捨てて、イエス・キリストを心から受け入れましょう。包装からくる勘違いや重荷から、完全に自由になりましょう。どうであっても、人生を左右されることではありません。そして、イエス様に目を向けて、イエス様にあるいのちの祝福からはじめましょう。そのいのちを祝福で自分に自負と自信を持って生きていきましょう。それからは、キリストの新しい服を着て、キリストの使節、大使として祈りに専念して生きていきましょう。いのちからスタートすると、そうなります。飾りの人生から出て、キリストを伝え、神の国を建設する確信と自信を持って歩みましょう。そのときに、それまで包装していたことが、いのちの祝福をあらわす道具として用いられるようになります。いのちの祝福を味わい、包装から自由になる一週間であるように祈ります。