日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

2012年7月15日

正しい救済論(ルカ11:45-54)
 病気の診断を誤って処置をまちがったという医療ミスのニュースを耳にすることがあるように、本当の原因をわからずに処置すると、大きな事故や不幸になることがあります。からだもそうですが、とても大切な「救い」について原因をわからないミスをすることは、今日の聖書箇所で、イエス様が「わざわいだ」と言われたように、本当に大変なことです。パリサイ人に対して厳しいことを言われたイエス様に向かって、律法学者がそれは自分たちも侮辱することだと言ったときに、イエス様はものすごく厳しいことばで、救いをめちゃくちゃにしていると、律法学者たちを叱り、怒りを現されたのでした。
 律法学者たちは、わざとしていたのではなく、自分なりにはいっしょうけんめいに、徹底したまじめな思いで律法を守ろうとしていました。しかし、彼らは人間の本当の問題である、霊的な問題、霊的な事実を分かっていなかったので、どんなに必死にしていても、違う道を行くしかなかったのでした。
 人間の本当の問題は霊的なことです。まことの創造主である神様にそむいたことが問題です。それによって、神様から離れて、いのちが絶たれてしまったので、魚が水から出てしまったように、木が土から根を抜かれてしまったように、なにをしてもだめな人生になってしまいました。たましいのある霊的な存在の人間が、まことの神様から祝福されること(これをいのちと言います)がなくなったことが、問題なのです。いろいろなことが原因だと思っているかもしれませんが、これが本当の原因です。いのちを失った結果、人生を滅ぼす悪魔につかまってしまい、支配されるようになりました。それで、どんなに人間がまじめにがんばっても、ほろびるしかない運命に捕えられているので、どうしようもなく苦しむしかないのです。これが聖書が教えている、人間の根本にある霊的な問題です。
 この原因が分からないので、仕方なく他の道を行くのが、律法主義や宗教です。なにかで光があると思うのですが、限界があり、そこを乗り越えようとして神秘主義に陥ったりもします。人間は、神様が喜ばれることができるような存在ではありません。このような違う道を走り、自分も滅び、他人も滅ぼしてしまいます。それで終わらず、自分が正しいと思いこんでいるので、裏でサタンにあやつられて、イエス様を殺すこと、消すことに先頭に立つようになります。それで、イエス様はわざわいだと言われたのでした。これが、霊的なことを分かっていない結果です。
 霊的なことが分かり、まことの神様から離れていることが問題だと分かると、神様とともにいるようになることが幸せであり、本当の救いだと分かるようになります。悪魔のしわざを打ちこわし、悪魔の手から抜け出して、罪と罪によるのろいと滅びの運命から解放されて、神様に出会うためには、人間からはまったくできることはありません。神様の恵みとあわれみしかないので、神様は一方的に恵みによる救いを契約として与えてくださったのです。その契約が、女の子孫が蛇の頭を踏み砕き、かかとをかみつかれて血を流すということで、それがキリストの約束です。神様に会う道であるまことの預言者、悪魔を踏み砕くまことの王、罪をゆるすまことの祭司、これがキリストです。そのキリストが救いの唯一の道であり、人間の問題の根本の解決なのです。その約束どおり来られて、十字架で完了して復活して、いま天におられすべてを成されたイエス様が、そのキリストです。
 それゆえ、救いの道はイエス様を信じることです。これが正しい救済論です。イエス様を信じることが救いだと分かって救われた人は、救いの祝福を味わえばよいのです。キリストの他にはなんの条件もなく、信じたとたん、運命から抜け出し、滅びとやみの人生から永遠に解放されます。神様と出会い、インマヌエルという完全の祝福をもらい、神様が最後まで完ぺきに導いてくださいます。イエス様を信じるだけで、完全な祝福が与えられるのです。この祝福を信じて味わい、自分の生活に適用していきましょう。
 これからは、すべての問題のはじまりは、霊的なことだと認め、他の複雑なことは否定して、単純にイエス様だけに集中するようにしましょう。このようにイエス様を信じることができたことこそ、奇跡ですから、驚きをもって感激して感謝しましょう。信じるようになった自分をお祝いしましょう。そして、救いの祝福を黙想して、聖霊に満たされることに集中して祈り求めましょう。すべてを越えて人生が動かされる聖霊の働きを見るようになるでしょう。