日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

2012年8月12日

むしろ分裂(ルカ12:51-53)
 人との関係は人生の成功を左右すると言えます。信仰を持って、神様を喜び、答えの祝福にあずかって生きていきたいのに、それを邪魔するのが、人との関係で、特にイエス様を信じる前のいろいろな関係を整理できずにいるので、祝福をのがしてしまうことが多いのです。イエス様を信じて、神様の子どもになり、いのちを与えられたら、それまであったすべての関係から自由になるべきです。そうでないと、いつまでも、新しく用意された本物の祝福を味わうことなく、序論の人生にとらえられたまま生きていくようになります。
 今日の聖書箇所で、イエス様はご自分が来られたのは平和を与えるためではなく、「むしろ分裂」を与えるために来たと言われますが、これは、けんかをしなさいということではなく、それまでの古い関係から自由になって、新しい関係の構図の中に入りなさいということです。人と仲良くなって、うまくいくために信じたかもしれませんが、そのための信仰ではなく、人によって振り回されない神の国の本物の祝福を味わうために、関係がうまくいくことによって幸せになれるというような考えではなく、人との関係にとらわれることなく、自由になるべきです。そのときに、本当に相手を愛すことができるようになります。
 人との関係から自由になるために、まず第一に、イエス様を信じる信仰は、霊的な意味で「大地殻変動」であるということを認めましょう。信じて救われる瞬間、すべてが動いて変わってしまったのです。
 どのような地殻変動かというと、罪の奴隷から義の奴隷になり、すべての罪、のろいの運命から解放されて、義となりました(ローマ6:17)死からいのち、つまり地獄から天国に根本的に完全に変わり、二度と戻ることはありません(ヨハネ5:24)。罪と死の原理にとらわれ、絶対に幸せになれなかったところから、いのちの御霊の原理に変えられました。それは、神様の恵みでイエス様をキリスト、救い主と信じたからで、自分の人格や、知識、能力、才能とはまったく関係がありません(ローマ8:2)。信じないと父が悪魔(ヨハネ8:44)でしたが、信じたとたん、神様を「アバ、父」と呼べる神様の子どもになりました(ローマ8:15)。死んでいて可能性がまったくなかったのに(エペソ2:1)、生かされて永遠のいのちの祝福が与えられました(エペソ2:6)。どうしようもない死のからだ(ローマ7:4)から、神様が内に宿っておられる尊い神の神殿のからだになりました(Iコリント3:16)。生まれながら御怒りを受けるべき子で(エペソ2:3)、神様の敵(エペソ2:16)だったのが、神様の家族に変えられたのです(エペソ2:19)。古いものは過ぎ去って、十字架とともに死にました(ガラテヤ2:20)。これは、イエスがキリストであるゆえになってしまったことなので、取り消すことも、変えることもできず、すでになってしまっている事実なのです。
 それゆえ、信じるまでの関係は再編されることが当然なことなのです。いのちある神様の子どもとして、それまでの関係とは違い、神様のみこころと栄光のための関係になっています。自分が霊的に大変動が起きて、関係も変わっているので、霊的に再編されていると認め、自分の今までの関係のための信仰ではないと確認しましょう。そして、自分自身に、今までの関係をどのように考えているのかと問いかけてよく 考えてみましょう。再編されているので、今までの関係はひびが入って、壊れても、自分が絶対に最優先するのは、神様との関係であると認め、整理しましょう。人との関係は一時的で、変わるしかなく、相対的なものです。神様との関係は、永遠で、変わらず、絶対的なものです。人との関係を優先すると、それに縛られるしかなくなります。そうではなく、神様との関係を最優先にするときに、自由になるのです。「むしろ分裂」と言われたのは「自由になりなさい」という意味です。神様との関係を最優先していると、あとのすべては受け入れ、愛していくことができます。自分がしっかりしているので、相手がどうであっても左右されることがないのです。
 そのような、まことの自由を味わうために、霊的なアイデンティティを徹底的に回復しましょう。神様とワンネスとなった、いのちある神様の子どもです。神様の前に立って、独立した信仰者となりましょう。人によって傷つくことはない、霊的な豊かさを持ちましょう。神様とともにいる祝福を思い切り、深く味わいましょう。すべてを失ってもかまいませんと告白して、神様との関係以外は、すべてを受け入れられるようになれば、まっすぐに進むことができます。そのような豊かさを持っているなら、人の前で、最高に謙虚で謙遜になることができます。そして、本当の意味で愛すようになるのです。絶対的な神様に自分自身を縛りつけ、それによって回りも生かされる祝福を味わうようになることを祈ります。