日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
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メッセージ要約版

2012年9月23日

あれほど愛したのに(ルカ13:31-35)
 今日の聖書箇所ではイエス様が「エルサレム、エルサレム」と2回も呼んで、イスラエルに対しての嘆きを言われます。イエス様の嘆きに耳を傾け、まことの勝利といやしの祝福を受けるようになりましょう。
 イエス様は、神様に選ばれたイスラエルが、その神様の愛と導きを拒否したゆえに滅びることに対して嘆かれました。拒否しただけではなく、福音であるイエス様を抹殺しようとしていました。それは、すべてを失い滅びることだと嘆かれたのです。神様の愛、いのちの福音を拒否することがどれほど恐ろしいことなのかを心に刻みましょう。
 そして、神様に選ばれたイスラエルですら、そのような姿になったことを見て、人間はだれであれ、最初から最後まで希望のない悪であるということを知りましょう。サタンによって刻み込まれた思想によって、神様なしで立派にやっていけると思っています。それが、どれほどの悪で、希望がないことなのかを認めましょう。
 そのような悪い私たちなのに、神様の恵でイエス様がキリストであることを聞いて理解して受け入れたことは、ほんとうにありえない奇跡です。絶対に神様の恵み以外はないと、感激して、感動を覚えるべきなのです。これこそ、史上最高の奇跡です。イエス様を信じることが、どれほどのことかを知り、驚きをもって感謝し、感激することがクリスチャンの知恵です。
 そして、イエス様の嘆きの声を聞いて、なにがあっても、福音だけは死守するという福音に対しての執念を持つようにしましょう。拒否したイスラエルの姿を見て、その反対の方向に向かい、積極的に福音を選ぶ姿勢を持つようにしましょう。そのように神様の愛に対して積極的な執念を持つとき、信仰が楽しくなり、福音がエクサイティングなものであることがわかるようになります。ダビデは、死の陰の谷でもまっさきに「主は私の羊飼い」と執念をもって福音を優先し、パウロもけわしい環境に負けない福音の執念を持って、まっさきに福音を持ってきて、天にある霊的な祝福を受けた幸いな者であると告白しました。私たちも同じように、なにがあっても、福音を尊重して、福音の価値を認めるようにしましょう。福音の価値を認めるなら、イエス様が「すべてを捨ててついて来なさい」と言われたことに従うことができ、パウロが十字架以外は誇らないと言ったのと同じようになります。福音は同じなのですが、私たちのアプローチの仕方が違うので、味わう祝福が違うのです。いつでも福音をつかみますと告白して、福音の執念を持って、残りの生涯、教会とともに福音を伝えると告白するクリスチャンになりましょう。
 それゆえ、2つのことをチェックしましょう。まず、自分と自分の人生をどのように思っているのかをチェックしましょう。現実や過去で評価するのではなく、「自分と自分の人生は奇跡だ」と、イエス様を信じて受け入れたことで、自分をほめ、奇跡の主人公であると告白しましょう。そして、信仰の姿勢をチェックしましょう。積極的にエクサイティングな執念を持ってアプローチするようにしましょう。なにがなんでも絶対に、福音をいのちより大事にして、礼拝、みことば、祈り、伝道を第一にすると執念深くアプローチしましょう。これが献身です。
 実際に目がさめたときに、福音を真っ先に黙想しましょう。そして、心の中で競技をして、福音をどんなことよりも必ず優勝させるようにしましょう。日曜の礼拝でみことばを聞いて、真実な思いで、なにがなんでもみことばをつかむと、姿勢をただしましょう。そして、現場に行ったら、福音が臨むように優先して祈るようにしましょう。福音宣教のために、たましいを心に抱いて祈るようにしましょう。
 今日のイエス様の嘆きを聞いて、福音と神様の愛に対して、執念深く、エクサイティングにアプローチするようになることをお祈りします。