日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

2012年9月30日

法より神様の愛(ルカルカ14:1-6)
 自分なりに絶対だと主張していても、実際には矛盾していて、答えにならず混乱する場合があります。今日の聖書箇所に出てくるパリサイ人たちは、安息日にイエス様が水腫をわずらう人をいやされることは、自分たちが神様を喜ばせるために守っている「安息日に仕事をしてはならない」というきまりを破ることだと思っていました。それに対して、イエス様がその考えは矛盾でしかないと指摘されたのでした。今日、私たちは矛盾だらけの人生から抜け出して、勝利の人生を歩むためにはどうすべきかを知り、契約として握りましょう。
 神様の愛はすべての法の上です。世の中のいかなる法、道徳、倫理、ルール、すべてを上回って最優先するべきなのが、神様の愛です。最優先すべきことが分かっていないと、矛盾から抜け出すことはできません。法は必要ですが、それは、神様の愛がない罪人である人間が、あまりにひどいので、与えられたものです。それゆえ、神様の愛の中にすべてがあり、神様の愛があるなら、法は不要になるのです。人間が弱いから与えられた律法なのですが、守るのも限界があり、守れないとさばかれます。そのようなルールでは、人間の人生は変わらないので、神様の愛が優先されるべきなのです。神様の愛をすべてにまさって優先するときに、迷いや矛盾の人生から抜け出て、自由になることができます。それ以外は、いやされることはありません。神様の愛、つまりイエス様によるいやしだけが、人生を根本から変えることができるのです。
 神様の愛は絶対に優先されるものであることを心に刻みましょう。そして、その愛を心から喜んで、自分のものとしましょう。神様の愛とイエスによる救いがすべてに優先されることだと理解できてこそ、聖書も理解できるようになります。そうすれば、人生を捕らえてものが離れて、神様の愛以外はどうでもよいものとなります。それが、まことの自由です。神様の愛以外のものを優先していると、それに束縛され、奴隷となり、引っかかって、葛藤するようになります。
 神様の愛は、当然優先されるものだとなりましょう。霊的な状態がわかっているなら、当然だとなります。すべての人は罪を犯して、悪魔が父と言われるように、悪魔に支配されて、地獄の運命に捕えられています。霊的な目でみると、非常事態であり、危機なのです。そのような非常事態のときには、法律は邪魔になります。ただ、その事態から助けることが必要となります。地球はいま、非常事態なので、ほかのことにこだわっていないで、人を助け、いやすことが優先されます。悪魔のしわざを打ち壊し、罪から救い出し、まことの神様に会うには、イエス・キリストしかありません。助ける道はイエスだけなのですから、当然なこととして、まっさきに神様の愛と祝福が来るべきなのです。イエスが抜ける愛は、愛ではありません。イエスのまことのいやし、まことの祝福がどんなことよりも優先されるのです。
 非常事態だという感覚がないと、ルールを主張するようになります。それでは、矛盾の人生からは抜け出せず、むりやりルールを守るので、むりやりの人生になります。そして、守れたら自分がえらいと勘違いの人生になります。また、守れないので、負担になり、重荷を負って生きる人生となります。そして、パリサイ人のように自分も守れないのに人に押し付ける偽善者の人生になります。それらは、すべて重荷を負う人生でしかないのです。
 ですから、本当に神様が喜ばれる人になるために、自分の主張、がんこさ、複雑な考えは、神様の愛が優先ではない結果で生まれることなので、すべて捨ててしまいましょう。正しい、正しくないと争う必要はありません。すべて譲って、相手のために祈るようにしましょう。そしてイエス様による神様の愛に、迷いをすべてなくして、思う存分、そこにのめり込んで、毎日入るようにしましょう。それを邪魔するものは、いっさい切り捨てましょう。現場で人を見るときに、たましいが救われることを優先して、伝道を中心に考えを整理するようにしましょう。そのために自分がどうであるべきなのかをよく考えながら見てみましょう。そうすれば、神様が現場に祝福の証拠を与えてくださるようになります。