日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

2012年12月2日

賢い人生(ルカ16:1-13)
 今日の聖書箇所は、イエス様が弟子たちに向かって不正な管理人のたとえを話される場面です。ある管理人が不正をしていたのがばれて首になってしまい、やめさせられるまでの猶予期間に頭を使って、自分がやめてからも人がよくしてくれるように、人々の証文を書き換えてやったのでした。それを知った主人が、その管理人が抜け目なくやったことをほめたと書いてあります。これは、その管理人がやったことが良いということではなく、そのときに自分に与えられた権限を有効に用いた、その賢さをほめられたのでした。私たちも、一度限りの人生を賢く生きるべきですが、どうすれば良いのでしょうか。
 まず、賢く生きるためには、人生においてなにが一番大切で重要なのかをわかるべきです。その大事なものを失わないために計算することが賢さです。人生において一番尊く大切なことは、私たちを造られたまことの創造の神様に出会い、いのちをもらうことです。これより大切なことはありません。人間は特別な存在の神のかたちとして創造されました。神様なしでは幸せも成功も正しく生きることもできないのです。たましいがある霊的な存在ですから、衣食住が満足したら幸せになるのではありません。神様とともにいるいのちによって生きる存在なのに、罪を犯して神様から離れて会えなくなってしまったのです。いのちが離れ、死んでしまったとエペソ2:1-2には書いてあります。それゆえ、どんなに裕福で楽しく生きていても、ノア時代のように洪水の災いで流されてしまい、バベルの塔を作ってもすべてむなしく崩れ、どんなにすぐれたニコデモでもむなしさはなくならず、サマリヤの女のように答えを求め続けてさまよい、38年間病気だったベテスダの池のほとりの病人のように見える苦しみ、見えない苦しみに苦しむだけなのです。それは、神様を離れていのちを失い、罪と罪を通して働くサタンの支配から逃れられない結果です。そのサタンの支配から助かることが一番大切なことなのです。それが救いです。つまり、人の救いがいちばん大切なことなのです。
 人は罪を犯していて、悪魔から自分で出てくることはできないので、人間を愛しておられる神様が、また神様の元に戻ることができるように、罪のないひとり子イエス・キリストを世に送られました。そして、イエス様が代わりに罰せられ、十字架で死ぬことによって、唯一の救いの道を開いてくださったのです。このイエス様を信じて従うことこそ、知恵の中の知恵であり、本当の賢さです。イエス・キリストを信じて受け入れた者は、永遠にサタンの手から、のろいから解放され、神様がともにいて、永遠に保証してくださいます。イエス様を信じることが賢い人で、信じていない人は賢い人生ではありません。
 信じた私たちは、最高の選択をした主人公だというプライドと自信を持って、その最高の祝福であるいのちを豊かに味わうことが、尊いことなのです。危機の中でも、限界や問題があるときも、そのときにすでにもらったいのちの祝福を存分に味わうことを選ぶのが賢い人生です。肉的、人間的、世的なことのために、霊的なことを損することこそ愚かなことです。
 そして、そのいのちの祝福をまわりのイエスを知らない人に分け与えてあげることが人生においてもっとも尊いことです。このために計算して、なにがこのために益になるかを考えることが賢い生き方です。
 このようにいのちと、いのちを味わうこと、いのちを伝えることがもっとも尊いことだという結論を出して、それ以外は、その尊いことのための道具で、永遠のものでも、自分のものでもなく、臨時的に管理を任されているものだと知りましょう。そのようにわかると、すべてにおいて自由になります。会社、仕事、勉強、なにかのために生きるのではなく、永遠に変わらない神様のいのちのために生きると結論を出し、そのために、いま、今日あたえられている 才能、環境をすべて、いのちを味わい、伝える機会にしていきましょう。
 それで、自分に向かってイエス様を選択した最高に知恵がある者だとほめましょう。そして、残りの人生で、いのちの祝福が表され、いのちの実が結ぶことを期待しましょう。人生のすべての方向を献身の方向に修正しましょう。献身とはすべて福音と福音宣教につなげることです。自分の一日のできごとをすべて、伝道とどう関係があるのかとつなげて考えてみましょう。それが献身です。そうすれば、かならず私を通して世の中が明るくなるでしょう。