日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
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メッセージ要約版

2012年12月9日

よいものをもっていても(ルカ16:14-18)
 イエス様が弟子たちに向かって、富と神とを同時に仕えることはできないと言われていたときに、それを聞いていたお金が好きなパリサイ人があざわらいました。その人々に向かってイエス様が言われたことです。
 パリサイ人たちは、自分たちが初代教会の弟子たちと比べると良いものを持って恵まれているという優越感がありました。しかし、イエス様は、ご自分が来られたので神の国がはじまり、それ以前の時代とは違って、神の国に入るかどうかがテーマになっていると言われ、自分たちが恵まれているから神の国に入る必要はないと思っているパリサイ人たちは、勘違いをしているのであり、結局はのろいやさばきをまぬがれることがないと言われました。それに続いて、金持ちと物乞いをしていたラザロのたとえを話されたのでした。
 金持ちとラザロのたとえは対極構造で、人間として最高の条件を持った者と、最悪の条件の者との対比を語られたのです。たとえ、人間として最高の条件を持っていても、地獄に行くしかなかった金持ちと、本当に最悪で不幸だとしか思われていなかったラザロは、アブラハムの懐にいたということは、イエスをキリストと信じて天国に入ったのでした。どちらが本当に幸せなのかと問うておられる内容です。
 世の中の人々は、お金、名誉、健康、愛情、学歴、地位などの良いものがあれば幸せだと勘違いをしています。しかし、人間は世にあるものでは本当に幸せになることはできません。かえって良いものを持っているので勘違いして、神様に対してマヒしてしまう場合が多いのです。それゆえ、良いものを持っているゆえに滅びるという悲しいことになってしまいます。この世が良いと思っているものは、たしかに良いものですが、それは、人生の答えにはならない、単なる包装紙であることを知りましょう。包装紙がどんなに立派でも、中身は変わっていないのですが、人間は、包装紙が変われば中身も変わると勘違いしています。包装紙が立派なので自分は幸せだと思い込んでいたパリサイ人たちは、中身が変わらないので、滅びるしかありませんでした。
 なぜなら、人間は、世にあるものでは絶対に変わらない地獄の運命の力にとらわれているからです。すべての人が罪人で、たましいは死んでいて、生まれながら御怒りを受けるべき子なのです。悪魔から出たと言われるように、身分は悪魔に属する運命の中で、地獄へ行くしかありません。そのような人間ですから、ただ神様に出会い、いのちの祝福をもらって、地獄の運命から出る祝福を受けるしか道はないのです。地獄の運命の中では、すべてを持っていても、まことの幸せ、まことの安らぎ、まことの希望はありません。そのような地獄の運命から出ることができる唯一の道は、イエス・キリストを信じることです。イエス・キリストだけが神の国に入る道です。
 いま、自分がなにを幸せだと思って追い求めているのかを考えてみましょう。世の良いもので、キリストの必要性がぼやけているなら、だまされていることです。キリストを逃すことなく、神様の導きと恵みを求め、それでもキリスト、だからキリスト、結局キリストと、切実な思いを持つようにしましょう。
 そして、イエスをキリストと信じて受け入れたら、世の中にあるもので幸せを見つけるのではなく、福音の中で幸せを見つけましょう。そして、世的なこと、人間的なこと、優越感、劣等感から解放されましょう。人と比べる必要はまったくありません。ただ聖霊が臨まれることに集中して、天にある霊的な祝福を味わうように祈りに進みましょう。心に刻まれている良くないこと、いまの状況で良くないこと、失敗、障害、苦しみなども、すべて包装紙であり、それが良くないがゆえにキリストが必要だとわかったことを感謝しましょう。天の御国にむりにでも入ろうとすることができたことを心から感謝しましょう。
 そしてよけいな葛藤にとらわれず、勘違いから抜け出し、聖霊が臨まれることにこだわって祈りましょう。イエス様に従う者は、最高に知恵がある幸せな者です。だまされないで世の勘違いに打ち勝ち、天の御国の祝福を味わうように祈ります。