日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
http://jremnant.net/


メッセージ要約版

2012年12月16日

つまずきを与えるわざわい(ルカ17:1-10)
 なにが一番おそろしいと思いますか。今日、イエス様は人につまずきを与えることほどおそろしいこと、わざわいはないと言われました。では、人につまずきを与えることというのはどういうことで、なぜイエス様がそれほど言われたのでしょうか。
 イエス様がつまずきを与えると言われたのは、その当時のパリサイ人、ユダヤ人の宗教者に対して言われたことで、その人々は自分たちは聖書を守っているつもりで、律法を握り、伝統、倫理を基準にして、すばらしい理論を展開していたのですが、それによって、唯一の希望であるイエス様のこと、福音を邪魔していたのでした。そのように、イエス・キリストではなく、ほかのところに向かうようにさせることが、つまずきを与えるということなのです。
 人間はがんばってまじめに勉強をして良い子として育ち、良い学校に入り、良い企業に勤め、良い家庭を持てば幸せになる存在ではありません。神様は人間を創造されたときに、神様と通じ、祝福され、感謝をささげることができるたましいのある存在(神のかたち)として創造されました。人はパンだけで生きるのではないと言われているように、神様とともにいて、神様を信じる信仰によって幸せに生きることができる存在なのです。魚が水の中、鳥は空、木は土に根をおろしてこそ生きるように、人間は神様とともにいるときに、すべての打ち勝ち勝利でき、限界を越えていくこともできます。しかし、その人間が罪を犯し、神様を離れ、サタンにとらわれ、運命に縛られて生きるようになりました。それが本当の問題です。その本当の問題を解決することは、人間には絶対にできません。この地上には、その問題を解決できるものはなにひとつないのです。それが本当にわかるなら、神様がこの問題を解決してくださるためにくださった答えだけが希望だとわかります。神様がくださったその答えが、救い主(キリスト)を送るということでした。そのキリストがイエス様なのです。
 ですから、答えはただ一つだけ、イエス・キリストしかないのです。その唯一の希望であり、答えであるイエス様のほうに行くことを遠ざけることは、人殺しよりおそろしいことであり、わざわいであると言われたのは、そういう意味なのです。福音は、神様から人類に与えられた絶対、唯一の答えです。それを妨げることがつまずきであり、それがサタンの策略の最大のポイントです。それを知っていたパウロは、違う福音を伝える者はのろわれると言いましたし、イエス様ご自身も、福音を妨げる者に対して怒りを発せられたのでした。
 それなら、福音を受けた私たちは、その福音を絶対的な基準にして生きていくべきです。自分の基準ではなく、絶対的な基準を福音にしましょう。それで、つづいてイエス様が兄弟を許すたとえを言われたのでした。唯一ひとつしかないので、何度、罪を犯してもイエス様にしか行けないので、許しなさいと言われたのですが、それを聞いて弟子たちは「それは信仰がある人ができることでしょう。私たちの信仰を増してください」と言ったのでした。しかし、イエス様は、それは信仰が弱いからできないということではなく、「当然なことだ」ということで、しもべと主人のたとえを話されました。福音を絶対的な基準とすることは、言い訳したり、文句を言ったり、混乱することではないのです。人間の本当の問題がわかると、当然なこととしてわかるようになります。パウロは、ダマスコに行く道でこの福音に衝撃を受けたので、キリスト以外は道がないという告白とともに、すべてはただイエス、福音のため、福音があきらかになり、あがめられ、唯一であることが基準になると言いました。私たちも、ただ希望はイエス・キリストだけだと、道は一本であることに結論をくだしましょう。
 いま、神様は私たちひとりひとりの前で「本当に道はひとつしかないのか」と問うておられます。それにアーメンと答え、自分の基準を変えるようにしましょう。また、つまずきを与えないことにとどまらず、福音、イエス・キリストを宣べ伝えるように積極的に、福音をあかししていきましょう。そのような伝道者としての生きると決断することは、当然なことですが、サタンが邪魔をしてくるので、決断をもって祈るようにしましょう。イエス・キリストの道一本を中心にして、自分自身を整理するように願います。