日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

2012年12月30日

正しい終末論(ルカ17:20-35)
 パリサイ人が「神の国はいつ来るのか」とイエス様に質問したときに、イエス様がその質問には答えられませんでした。イエス様は、その質問自体が正しくないということを言われ、そのあと弟子たちに向かって正しい終末観について説明されました。私たちも正しい聖書的な終末観を知り、確信を持って進んでいくようにしましょう。
 サタンはまちがっている終末の意識をもって人々を惑わし、教会までも惑わそうとしています。今日のパリサイ人の質問の「神の国が来る」というのは、自己中心的な考えで、神の国が来れば民族が解放されて、苦しみが終わり、イスラエルが世界を征服して幸せになるという終末意識で言ったことでした。いつ苦しみが終わるのかという質問は、聖書が教えていることではありません。このような自己中心的、物理的な解放は間違いです。また、時間的や場所的に制限された終末意識を持つことがあります。ある決まった日にイエス様が再臨されるということで、その日に集まって待ったり、ノストラダムスの大予言や、マヤの暦による予言など、終わりの日が予言されて、そこですべてが終わって新しいことが起きるという考えがあります。その考えが文化に影響を与えて、映画やマンガなどにその思想が現れることもあります。しかし、そのように最後の日にこだわって、その日に向かってのしるしにこだわるのは間違いです。それではないからと、終末はないと無感覚になって、無視することも間違いです。これらの考えをイエス様は否定されて、弟子たちに向かって正しい終末の理解を持つようにと言われました。
 正しい聖書的な終末の理解はなんでしょうか。それは、聖書以外のものには、行くことも、従うこともしてはいけないということです。耳を貸してはなりませんと言われています。それから、歴史に関して、聖書が見ている聖書的な歴史観を持つべきです。聖書的な歴史観とは、はじめに神様が創造されたのですが、そのあと人間が罪を犯して堕落してからは、人間を滅びと泥沼の運命から救うためのメシヤを送るように準備されていたのが歴史だということです。ですから、創世記3章からメシヤが来られるまでが歴史の第一段階です。メシヤが来られて救いが完成されたので、そのときに終末がはじまったということです。メシヤが来られてはじまった終末は、定められたたましいが救われるために進み、定められていたすべてのたましいが救われたときに完成して終わるのです。ですから、終末の主人公はキリストです。パリサイ人が「神の国はいつ来るか」と質問したときに、イエス様はご自分が神の国であり、イエスこそが終末であるので、イエスを信じなさいという意味で返事をされたのです。また、正しい聖書的な終末の理解は、終末が完成される日は、隠してあって予測できず、いきなり来るので、日にこだわる必要はないということです。それから、終末は完成されると同時に審判があります
 このような正しい聖書的な終末の理解を持っている人は、いま、今日をどのように生きるかにすべてのポイントを置くようになります。いま、今日を審判の準備の日として生きるのです。それで、イエスをキリストと信じて受け入れることがなによりも大切なことです。それから、イエスをキリストと信じたなら、イエスと仲良く、大事にして、イエスをどのようい宣べ伝えるのかに神経を使うようになるのが、終末について正しい理解を持った人の生き方です。
 イエスをキリストと信じて受け入れましょう。そして、受け入れた人は、イエスにあって保証されていて、最後に勝利があると確信しましょう。そして、イエスと仲良くすること、イエスを味わうことに神経を注ぎ、その中で仕事、勉強をするようにしましょう。それから、与えられている今日のことをすべて伝道、世界福音化と結びつけて、意味を見つけていきましょう。使徒の働き1章でイエス様が、いつ、どのようになるかは「あなたがたは知らなくてもよい」と弟子たちに言われ、「ただ聖霊が臨むと証人になる」と言われました。その主人公となるようにしましょう。終末について正しく理解して勝利するようにお祈りします。