日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

2013年1月6日

あきらめられない祈り(ルカ18:1-8)
 2013年を歩みはじめ、なにがどうであっても変わらないものを吟味して確認し、本当に祈りに成功する一年を送るようにしましょう。イエスを信じたということは、宗教ではなく、福音によっていのちを与えられたことです。どんなことがあっても、もうすでに祝福された者であり、なにも問題になることはありません。あとは祈りに成功することがすべてなのです。あきらめることができない祈りができるようになれば、ひとりで立てるようになります。あきらめることができない祈りについて、今日、イエス様は悪い裁判官とやもめの話をたとえにして語ってくださいました。そこからなぜあきらめられないのかを見てみましょう。
 今日のたとえには、悪人の裁判官とそこに裁判をしてくださいと言いにくるやもめが出てきます。それは、最悪の裁判官と最低の存在のやもめの場合を出して、たとえそのように絶対に願いが通りそうにないような悪い裁判官で、また、最低のやもめであっても、願いが通ったのだから、まして、良い神様が選民が求めることに答えられないだろうかということを言われているのです。
 祈りをあきらめられないのは、祈る前に祈るしかない確かな結論が先にあるからです。やもめが求めていた裁判は、だれが見ても白黒がはっきりする判決が出ると分かっていたので、しつこく訴えたのです。祈りとは、願いをかなえるためのものではなく、自分の結論を持ってぶつけることです。その結論は、理論や論理ではありません。歴史や自分の人生、家系、現場、社会を見て「福音でないといけない」「福音以外は希望がない」という事実を握ることです。そのような福音の結論が出ると、当然、伝道の結論が出るようになります。すべての理由が「福音がなかったからだ」「福音が絶対に必要」となり、これが動くことのない結論となって、それゆえに神様に求めるのです。伝道者としてどうすれば福音を宣べ伝えられるのか、神の国が臨むようにと神様に求めるのです。
 そのような祈りは、当然、答えられるようになっています。祈りが答えられるのは、当然、当たり前なので、あきらめることはないのです。祈りは神様が働いてくださるのですが、私たちが喜ぶように作られたシステムなので、祈りに答えられるのは当然です。祈りは祝福なのです。祈りが分からないとか、祈りを誤解していたり、結論がはっきりしていない場合、神様は祈りを修正するように働かれます。神の国とその義を求める祈りは、かならず答えられるので、確信をもって祈るようにしましょう。
クリスチャンの祈りに失敗はありません。かならず答えられる結論を持った祈りを回復して祈りはじめましょう。2013年はあきらめることのない祈りを始めるように願います。そのために、動かない結論があるのか、当然答えられると知っているのかを、自分で自分の祈りの状態をチェックしてみましょう。そして、なにがあっても変わらない福音の結論を持って、あきらめることがない祈りの課題を持つクリスチャンになりましょう。絶対に答えられる確信を持って、祈りの祝福を味わうようになることをお祈りします。