日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

2013年2月10日

想定外の救い(ルカ18:35-43)
  だれかを見て、その人が立派、幸せ、えらい、良いとか、だめ、いやだとかいろいろ評価しますが、その基準はいったいなんでしょうか。その基準で自分も評価していることになります。今日の聖書箇所では、祝福とはほど遠いと人も思い、自分も思っていたザアカイにイエス様が声をかけられ、アブラハムの子、つまり、祝福された選ばれた人だと言われました。だれも予想もしていなかったことが起きたのです。
 イエス様は、人はまったく期待できないところに止まられ、声をかけて愛を持って召されます。世や人は、外見を見て予想するのですが、イエス様が外見とはまったく関係なく祝福されるのです。つまり、世の中で考えの基準や根拠にしていることは、すべてイエス様の前では基準にならないのです。そのことを心に受け止め、私たちに刻印されている祝福の基準を取り替えてしまいましょう。イエス様は、人間の側ではまったく資格がないところで、立ち止まり、祝福して救われます。本当の祝福の人生は、想定外のことなのです。これを神様の恵みと言います。救いは神様の恵みであり、人間の基準はまったく関係ありません。ザアカイは、イエス様に呼ばれたので、急いで木から降りてきて、大喜びでイエス様を家にお迎えしました。私たちも、イエス様に呼ばれたら、信仰を持って無条件に大喜びで受け入れればよいのです。
 イエス様を家にお迎えしたザアカイはそのあと、変わりました。それまでは、お金が命より大切だとしていて、その結果、お金に縛られていたのですが、イエス様をお迎えしてからは、その束縛から完全に解放されました。人は本当の神様の祝福を受けないと、なにかに縛られて奴隷になるしかありません。過去のつらい傷、貧しさからのお金への執着、愛情、家族、勉強などなにかに人生を縛られていて、それが心に刻まれているので、なにか決定的なことが起きると、それによって倒れてしまうのです。しかし、イエス様を受け入れると、その束縛から完全に解放され、新しい人になります。それが救いです。イエス様を受け入れることは革命なのです。心の中に刻印されている世間の基準をすべてとりはずして捨ててしまいましょう。祝福の基準はイエス様だけですから、イエス・キリストを信じて受け入れましょう。そうすれば、祝福の子としてくださり、新しい人生を始めることができます。
 イエス様を受け入れたら、なにがあっても揺れない救いの確信を持つようにしましょう。救いは、ほかの理由はまったくなく、ただイエス様を受け入れたということだけです。まだ問題があって、弱さや失敗があるとしても関係ありません。イエス様のことを聞けるようになり、そのイエス様を救い主として受け入れたなら、選ばれた人であり、神の子ども、祝福の人なのです。私のいるところに、神の国の力が現われると確信しましょう。私の力とは関係なく、聖霊のバプテスマが与えられます。私が生きているのではなく、神様が私の人生を生きてくださっています。イエス様を受け入れたら、そのように変えられているのです。イエス様の御名が偉大なので、イエス様を信じたら、神様に会い、すべての問題は解決していて、悪魔、滅びとは関係ない者とされたのです。
 この救いの祝福を黙想して、自分の考えや欲、願いを捨てましょう。そうすれば、神様が神様の力によって人生を動かしてくださるようになり、あらゆることを通して証人となるようにしてくださいます。私にはできませんから、神様がご自由になさってくださいと祈りましょう。それが聖霊充満であり、最高の答えが与えられるようになります。
 救いは想定外のことです。その秘密を黙想して、揺れない救いの確信を持つようにしましょう。聖霊のバプテスマで生きるとすべてをかけましょう。そのように自分を捨てることを祈りと言います。心配をおろして、みこころのままにしてくださいと祈りましょう。救われたので、残りの課題は自分をおろすことだけです。想定外の救いなので、救いの確信を持つときに、自分をおろせるようになります。すべてを神様にゆだねて生きるようになることをお祈りします。