日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

2013年6月9日

十字架刑のただひとつの理由(ルカ23:13-25)
  いま、世の中の人々は、人生の悩みの答えがなくさまよっています。その人々に答えを与えるように召されたのがクリスチャンです。今日の聖書箇所から、自分とイエス様の関係を正しく理解するなら、答えを与えることは当然のことだとわかるようになり、苦しんでいる人々を生かすことができるようになるでしょう。
 今日の聖書箇所は、イエス様がピラトによって死刑宣告を受ける場面です。ピラトは裁判をして、イエス様を調べたのですが、罪はないので釈放しようと言います。しかし、群衆がどうしても殺せと叫ぶので、どうしようもなく、ヘロデに送りますが、そこでもなにも罪にあたる証拠は出てこなかったのです。それで、群衆に向かって、イエスには罪はないと言うのですが、群衆はまったく理屈がとおらず、叫び続けるので、仕方なく死刑の判決、それも凶悪犯が受ける十字架刑の判決をくだすのです。
 ここで私たちが知るべきなのは、イエス様には十字架刑を宣告されるような理由や理屈は、まったく存在しないということです。十字架刑は説明不可能なのですが、ただひとつだけの説明が存在します。それは、その判決は私たち人間が受けるべきことだったということです。人間の正体は、そのようにさばかれるしかない罪人なのです。神様に罪を犯し、サタンに従い、神様を無視して生きる人間は、十字架刑を受けるしかないのです。その人間の身代わりにイエス様は十字架にかけられました。
 どんなことがあっても、自分の正体は十字架刑を受けるしかないものであるということを思い出しましょう。救いが必要な罪人なのです。それが本当にわかるなら、まわりの人と比べることも、自分の姿を見て落胆することもなくなるでしょう。
その私を救い出すために、イエス様は身代わりとなって十字架刑を受けられました。十字架の死は、あがないの死だったということを忘れないようにしましょう。そして、いままでの自分の基準や考えをはるかに越えるイエス様の救いの愛の前に立つようにしましょう。
十字架のことが自分のためだとわかるなら、すべてのことを越えることができるようになります。いろいろな方法を考えるのではなく、ただあがないの奥義ひとつだけを残し、私のかわりに死んでくださったイエス様だけを見上げましょう。そして、そこまで神様が私のことを愛されているのだということを発見して、自分自身を認めましょう。十字架のあがないによって、古いものは過ぎ去って、すべてが新しくなりました。滅び、不幸、死の人生は終わって新しくなっているのです。創造の神様が私とともにおられ、私に力を与えて導いておられる神の子どもになっていることを確認して、幸いな者だと自分を認めましょう。
朝起きて、十字架のあがないを思い出し、自分が幸せなものだと確認し、一日中、そのことを思い、夜にはそれを忘れてだまされたことを反省して、十字架の愛によるやすらぎをもって一日を終えるようにしましょう。そのようにして、以前の生き方を捨てて、新しい光の人生であることを生きるようにして、わざとでも、自分のまわりの人々、現場を具体的に見て考えるようにしましょう。伝道を理由にして、すべてのことを考えるようになると、奇跡が起きるようになります。
このように、イエス様と私の関係を正しく理解すると、世を生かす力が与えられるようになります。十字架のあがないの愛を思う存分喜び楽しむようになることをお祈りします。