日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

2013年6月16日

涙のポイント(ルカ23:26-31)
  人々は自分なりの幸せの理解をして、自分なりの基準を持っています。それをもとにして、喜び、悲しみのポイントが変わります。つまり、涙のポイントが違ってくるということです。今日の聖書箇所はイエス様が十字架を負って死刑場へ向かわれる場面です。行くときに、イエス様は弱りはてておられたので、十字架が背負えず、かわりにシモンという人に負わせて運ばせました。ものすごく悲惨で、目を向けることもできない悲しい場面です。それで、いっしょについて来ていた女の人たちが嘆き悲しんでいると、イエス様が「わたしのために泣かないで、あなたたちの子孫のために泣きなさい」と言われたのです。今日、この聖書から、本当の幸せとはなにか、不幸はなにかを知って、涙のポイントを変えるようになりましょう。
 本当の幸せと不幸を考えるときに、いままでの常識や理論に基づいて考えると、必ず間違った方向に向かいます。人間の本当の幸せは、なになのかを聖書から確かに理解しましょう。
 世の中では、たくさん所有していると幸せで、裕福なのが良いと思っています。また、問題なく順風満帆に進めば幸せだと思います。それから、地位やレベルが高ければ幸せでだと思っていますが、歴史を見ても、いままわりをよく見ても、それが幸せではないことは証明されています。どんなに豊かな人も、なんの問題もないと思える人でも、すばらしいエリートでも、決して幸せではなく、精神的に苦しみ、病んでいます。人間がどのような存在なのかがわかると、それらが人間を幸せにするのではないとわかるでしょう。
 人間は、神様によって造られたのですが、神のかたちとして、創造の神様がともにおられてこそ、まことの幸せを味わうことができる者でした。しかし、サタンにだまされて、罪を犯し、神様を離れたので、心に穴があいたようになってしまったのです。ですから、どんなに人格、人柄、教養があっても、生まれながら神の御怒りを受けるべき存在で、すべての人が神様の栄誉を受けることができません。重いおもりを足にしばられてプールに放り込まれたような状態なので、この重いおもりを取り除かないかぎり、なにがあっても幸せではないのです。これが本当にわかるなら、罪を犯し、神様を離れ、ほろびの運命にとらえられ、死ぬと地獄の運命から解放されることが本当の幸せだとわかるでしょう。そのような運命から解放されることを救いと言います。人間の幸せは救われることです
しかし、この罪と死の原理からは、人間ではだれも一歩も出られないのです。救われる道がまったくないので、神様から幸せの道を約束してくださいました。それが創世記3:15の女の子孫です。イエス・キリストは、その女の子孫なのです。それで、十字架で血を流し、人間を苦しめるおもりを完璧に処理してくださいました。イエス様がキリストで、このための唯一の道だと信じることを「心の貧しい者」だと言われます。その人こそ、幸せなのです。本当の幸せはイエス様を信じることから始まるのです。
ですから、イエス様を信じないで、拒むなら、すべての災いがその人に襲いかかります。これが不幸です。このように正しい幸せと不幸がわかるなら、涙の色が変わるようになります。それゆえイエス様は、イエス様を拒否したイスラエルには、災いが襲いかかるので、それを見て泣きなさいと言われたのでした。ラザロが死んだときに、イエス様が泣かれたのも、死の力に勝利したイエス様がおられるのに、それを知らない人々を見て泣かれたのです。エルサレムに対して泣かれたのも、イエスを拒否したから、その結果は滅びしかないので、泣かれたのでした。エレミヤも、神様に選ばれた選民と言っているイスラエルが、キリストが来られるという契約から離れたので、それではサタンにやられるしかないと分かって泣きました。パウロも、鞭打ちや石打、刑務所などの自分の苦しみのために泣いたのではなく、自分の同胞であるイスラエルの民が福音を拒んだので、滅びるしかないとわかって泣いたのです。
私の涙、悲しみはなにかを考えて、涙のポイントを変えましょう。クリスチャンが持つべき涙のポイントは、自分のなにかではなく、キリストを忘れ、祝福を忘れることへの涙なのです。このようにまことの涙の理由がわかると、現場を見ながら泣くようになります。滅び、災いにおそれつつさまよい苦しむ現場が見えます。それはキリストから離れているからだと、イエスがキリストと伝えられるべきだと泣くのです。自分自身に対しては、キリスト・イエスを忘れ、祝福と幸せの神の子だというアイデンティティを忘れることが涙の理由です。
そうなると、自分の人生をもって使命の決断をするようになるでしょう。なににもとらわれず、いますでにすべてもらったので十分であると、よけいなことに涙を流さずにあふれんばかりの祝福を与えられるキリストに集中するようになります。そして、残りの生涯に勝利の主、イエスを喜び信じる信仰によって生きるという決断をして、福音宣教のために生きるという、人間らしい生き方の決断をするようになるでしょう。その使命のために、人生を尊く、大事に生きるようになります。そのように決断すると、神様が奇跡の門を開いてくださいます。
いまからイエス・キリストを信じて受け入れたら、もう自分はすでに永遠まで幸せな者だと告白しましょう。告白できない人はキリストのことをよく考えましょう。自分の涙のポイントをいちどよく点検して、涙の色を変えましょう。そして、神様からの使命に耳を傾け、それに心から応答するようにしましょう。