日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

2013年7月7日

イエス様の死とお墓(ルカ23:44-56)
  多くの人が理想や目標をかかげて頑張るのですが、現実は厳しく、思い通りにはならなくて、悩みや問題に流されてしまっています。その中で、力を持って乗り越えるためには、だれかのせい、なにかのせいにするのではなく、自分が変わればよいのですが、自分を変えようと努力しても、変えることはできず、かえって負担になります。自分を変えることが正解ですが、自分を変えようとするのではないということを覚え、イエス様がそのようにできない私のために十字架で死に、葬られるようになったことを確認しましょう。
 今日の聖書箇所では、イエス様が十字架で死なれ、お墓に葬られました。一般的に死や墓は暗い悲しいイメージですが、イエス様の死とお墓は、まったく正反対のものです。イエス様の死とお墓は、罪人の私を殺して葬ってくださったことだからです。
 神様に背いて、神のかたちを完全に失ってしまい、罪人になった私たち(ローマ3:23)は、罪過と罪の中で死んで、神の御怒りを受けるべき子(エペソ2:3)であり、悪魔が父のように支配し(ヨハネ8:44)、その結果、死んでさばかれて(ヘブル9:27)地獄へ行くしかない、根本からの罪人です。悪魔が人間を滅ぼすために作った偽物の神を崇拝して、たましい、心、精神、すべて壊れてしまっていて、根本には消えない不安を持ち続けています。その不安ゆえに、ほかの人と比較して劣等感や優越感、自分が正しいという枠を持って、その枠により自分自身が疲れて重荷を負う状態になっています(マタイ11:28)。イエス様はそのようなことを丸ごと、すべて十字架の死で解決され、お墓に葬ってくださいました。残っていることはひとつもありません。そのあと、安息日の次の日によみがえられました。イエス・キリストの中にある安息を現すための安息日が、イエス様なしの儀式やルールになって、人間を苦しめていたのですが、それも完全にお墓の中に葬られ、本物の安息がよみがえられたイエス・キリストの中にあるようにしてくださったのです。
 そして、私たちをまったく新しいいのちをもって完全な新しい創造の祝福を与えてくださいました。reform(リフォーム)ではなく、recreation(再創造)の祝福です。肉が変わらないから、まったく変わっていないように思うかもしれませんが、神殿の幕が真っ二つに裂けたように、罪により神様との間に大きな隔ての壁があったのですが、それがイエス様の死とお墓によって完全に取り除かれたのです。血肉によって生まれたのではなく、神様から生まれた、以前の私ではない、まったく新しいものになったと(Uコリント5:17)確認しましょう。イエス様がキリストだったので、新しい存在になれたのです。
 いま、イエスをキリストと信じて受け入れたなら、ガラテヤ2:20が実現しています。信じると即座に神の子どもに生まれ変わり(ヨハネ1:12)、永遠のいのちを持ちます(ヨハネ3:16)。永遠に続くのです。すべての失敗の人生をなくして、新しく造り変えられました。クリスチャンの問題は、その事実を認めないことです。弱さがあっても、それは私のものではなく、キリストをより強く、実際的に告白するためのものにしましょう。どんなものも神様の愛から引き離すものはなく(ローマ8:37-39)聖霊で証印を押されるほど(エペソ1:3)確実に新しいもの、神様の所有になっています。いつまでも神様がともにおられ(ヨハネ14:16-17)、神の神殿となっていると言われます。なにがあっても、益となる(ローマ8:28)すばらしい人で、神様が世の終わりまでともにいてくださる、世の光となっています(マタイ5:13)。王である祭司とも言われ、イエス様の証人として世界福音化ができる、伝道者になっているのです。信じる瞬間にそうなっているので、信じて認めるようにしましょう。
 祈ると聖霊の働きがありますから、感謝とともに新しい自分を取り戻して、祈りに専念し、神様が私の父、私の保護者、私の保証、私の喜び、私の希望だということからスタートしましょう。絶望や悲しみ、ため息の人生と、信仰をもって徹底的に戦い、決別して、過去は希望の明日の土台であるだけだと、キリストの中にある新しい自分を見つけて告白していきましょう。