日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

2013年7月21日

復活のイエス様(ルカ24:1-12)
  ものすごい宝を持っているのに、その意味や内容が分からずにいて、無駄な苦労をしているとしたら、とてもくやしいことです。クリスチャンが、イエス様を救い主として信じているのに、そのイエス様のことがあまりよくわかっていず、しなくて良い苦労をするのは、くやしいことではないでしょうか。今日の聖書箇所では、十字架で死なれてお墓に入れられたイエス様のところに、三人の女の人が死体に香料を塗るために訪ねていったことが出てきます。その人々に、御使いが現れて「生きている方をなぜ死者の中から探すのですか」と問います。イエス様のことをよくわかっているなら、よみがえられるのは当然のことなのですが、弟子たちもそのことを信じようとしませんでした。
 イエス様のことを正しくわかっていないと、古い過去に縛られるしかありません。死体は過去のことです。イエス様がだれかがわかるなら、お墓や死という過去にとらわれ、自由にならないのです。イエス・キリストに出会う前は、まことの創造の神様を離れ、罪を抱え、サタンにとらわれ、滅びる運命の中で、御怒りを受けるしかない子どもとして生きていました。それゆえ、不安にあやつられ、どんなことをしても不安に勝てず、暗やみによって傷だらけになって生きるしかありません。そのようにお墓や死という過去にとらわれていると、どんなに良い思いであっても、不安が離れることはなく、悲しみがつきまといます。イエス様をキリストとして信じたあとの、不安や悲しみは、過去にとらわれ、過去のパターンのまま縛られて生きているからです。
そうして、イエス様のことを分かっていないと、思いはとても良いのですが、よけいな苦労をするようになります。死体を大事にしようと香料を持ってきた女たちのように、お金、時間、熱心や情熱をやらなくてよい無駄なことに注ぐようになります。そのような宗教的熱心は、疲れて重荷を負う宗教生活になってしまうのです。また、ルールや基準を定めて正しいこと、正しくないことを決めようとする律法的な熱心にとらえられることもあります。また、神秘的にのめり込んで熱心にする場合もあります。そのように自分なりに一生懸命にすることより、内容が正しくなければなりません。それは、イエス様のことをよくわからないとできないのです。私たちの課題は、「イエスのことをよくわかること」です。わかるなら、お墓のような過去は終わったことがわかります。記憶に残っているかもしれませんが、実際には過去はキリストで終わりました。過去の自分から自由になりましょう。
新しいいのちの自分を確認して、喜ぶことからスタートしましょう。過去は終わって、新しいのちを持つ、祝福の者であることからスタートしましょう。そして、イエス・キリストにあって与えられた新しいものにこだわって、そこに集中しましょう。どんなときも、どんな問題があってもがっかりせず、新しく与えられたことに集中しようとすることが課題です。しかし、過去が入り混じって集中できないことが多いのです。そのときは、イエス様はだれなのかという問いからはじめ、イエス様以外のことにこだわっていることに気づきましょう。私たちは信じたとたんに、世界福音化を成し遂げることができる条件をすべて与えられました。その祝福にこだわるようにしましょう。
イエスはキリストです。すべての問題の解決者です。よみがえられたので、いま、生きて働いておられます。御名を呼べばよいのです。そして、いま、世界の福音化をなさっていて、人々を救い、クリスチャンに聖霊のバプテスマを注ぎ、世界福音化ができるように力を授けておられます。そして、最後には、必ず再臨さます。これは、絶対に止めることができないので、これだけにこだわるようにしましょう。必ず世界福音化されると握る人には、聖霊のバプテスマを授けて、爆発する力を与え、すべてに勝利させられます。
イエスがキリストですから、すべての過去から自由になりましょう。現実の問題や心配の前で、よみがえられて勝利されたイエス様に集中するようにしましょう。そうすれば、1つのことだけが残ります。自分は幸せな者であり、なにがどうであっても伝道者として生きていくのだと気づくようになります。そして、ただ、聖霊に満たされること(使徒1:8)だけにこだわり、ほかのことはこだわらなくなります。そのようになったら、祈りに専念(使徒1:14)するようになります。これがクリスチャンとしてのあるべき姿、いるべき定位置なのです。イエス様のことを正しく告白する一週間になることを祈ります。