日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
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メッセージ要約版

2013年8月4日

目が開かれれば(ルカ24:26-35)
 イエス・キリストを信じる人は、救い主が血を代価にして買い取られたほど尊い、貴重で大切な存在です。しかし、自分でそうであると気づいていないので、現場で無気力になり、無能になっていることが多いのです。今日の聖書は、イエス様の十字架の死、また、死体がなくなったことの意味がなにか分からず、自分の過去に戻ろうとエマオに向かっている弟子たちにイエス様が現れた場面です。イエス様がともにおられるのに、弟子たちは「目がさえぎられていて」それがイエス様であることがわかりませんでした。イエス様はともに歩きながら、聖書からキリストについて話をしてくださり、そのあと、泊まるところでパンを裂いて与えられたときに、目が開かれて復活されたイエス様がともにおられることがわかりました。そのあと、弟子たちは力を受けてエルサレムに戻ったのでした。
 クリスチャンが力を失い、葛藤して、神様がくださった契約の道を進めない理由は、目が開かれていないからです。環境や状況、自分の弱さや足りなさを理由にしますが、実は、それは理由ではないのです。自分は神様がともにおられ、本当に大切で尊い存在なのだということに気づいていないから、小さなことにこだわってしまい、祝福を味わえないのです。いままでの人生で学んだ経験やいろいろな世の中の声にこだわるようになると、目がさえぎられて、こだわっているものに押さえられて、大事な部分が見えなくなります。イエスがキリストなら、復活されるのが当然なのですが、それが信じられず、目がさえぎられて見えないのです。世の中の学問、愛情、富、物質、発展はとても良いことですが、悪魔のしわざに打ち勝つことはできません。神様に出会い、ともにいることもできません。また、新しいいのちを受けるために罪をあがなってもらうこともできません。悪魔のしわざを解決して、神様に会い、罪があがなわれるのは、ただキリストだけです。これがはっきりと分かるなら、イエス以外はちりあくただとわかるようになります。そして、それまでこだわっていた基準やルールがすべてキリストによって隠れてしまい、それらに縛られることがなくなります。イエスがキリストであり、すべて完了されて勝利され、今も生きておられる主がともにおられるなら、葛藤に捕らわれたり、混乱が続くことはありません。ともにおられることに気づかないと、過去に戻るしかないのです。
 今日、弟子たちが目が開かれたらすべて変わったように、私たちもイエスがキリストだということに目が開かれればすべてが一変します。ただ目が開かれるだけで十分なのです。それにポイントを絞ってお祈りしましょう。イエス様が本当にキリストで、復活されていま、その方がともにおられると告白できるなら、それまで過去に向かっていたことが恥ずかしくなり、その道からUターンするようになります。自分が最高に幸せな人間であり、祝福の者だと感謝して、主がともにおられるので、どんなことがあっても、恐れ、不安、悩む必要はなく、すべてが終わったことに気づくようになります。
イエスがキリストという信仰告白を忘れないように告白しましょう。そうすれば、その次のオリーブ山の祝福が与えられていることに気づきます。自分はエルサレムから地の果てまで証人となる、世界福音化の主役だとわかるようになるのです。福音がないと、すべてが虚像で崩れるしかないので、福音を伝えるべきで、福音を伝えることが歴史のテーマで鍵だとわかるようになります。これが契約です。自分はその契約をもらった時代の主人公、世界福音化の主役だとわかります。契約を握っていると、すべてを働かせて神様が伝道されていくので、伝道が成り立つ契約の主人公として生きていくことができます。 それゆえ、聖霊のバプテスマを受ければよいのだと、世界福音化のために聖霊の満たしを求め、神の国を求める定位置で祈るようになります。 このように目が開かれれば、こだわりがなくなって、すべて成り立つようになっていくのです。目が開かれれば良いという結論を出して、目を開いてくださいと祈り求めましょう。
 では、いつ目が開かれるのでしょうか。イエス様がみことばを解き明かされたときに開かれました。ですから、キリストと、イエスがキリストだということを中心にみことばを黙想すれば良いのです。そして、イエス様がパンを裂かれたときに開かれたように、イエス様の十字架と復活は自分のためのことだったと告白していると、目が開かれるようになります。これをすべて合わせたのが聖餐の告白なので、聖餐の告白を逃さないようにしましょう。
 すべての疑い、こだわりをすてて、福音のみことばを深く黙想して、福音の内容を黙想するようにしましょう。自分が最高に幸せな世の中を変える唯一の存在だという「霊的サミットの位置」に立ち、聖餐の告白を通して目が開かれるように求めましょう。定位置をさがし、そこに立ち、契約の人生、世界現場の福音化のための祈りの人生になっていることを体験する一週間になるように祈ります。