日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
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メッセージ要約版

2013年9月22日

幸せはどこに?(ヨハネ3:1-5)
 幸せだと思うこと、幸せではないと思う理由はなんでしょうか。病気だから幸せではないと思い、健康になれば幸せだと思っていたり、貧しいから幸せではなく、金持ちになれば幸せだと思っていたりしますが、本当にそれで幸せになるのでしょうか。クリスチャンは、地域、国を変えることができる宝を持っている聖徒と呼ばれる身分です。しかし、幸せの基準が世の中と同じでは、その宝を味わうことが難しいのです。今日、ニコデモの箇所を見ながら、幸せの基準を勘違いしているなら、とりかえるようにしましょう。ニコデモは、ユダヤ人の指導者でパリサイ人として、人からは幸せだろうと思われる身分でした。しかし、自分の心を表に出すこともできないまま、夜にこっそりとイエス様のところに来たのでした。
 私たちが世の中で、期待して求めていることの中には幸せはないことを知りましょう。学歴、愛情、お金、健康、社会的な地位、宗教への熱心さがあれば幸せになると勘違いしていますが、それでは幸せにはなりません。必要なことですが、幸せの材料や理由にはならないのです。それに振り回されて奴隷になる必要はありません。それらをすべて持っていたニコデモがイエス様のところに来て、単刀直入に「幸せがないのはなぜか」と尋ねず、遠まわしに、イエス様をほめる言葉を言いました。そこで、イエス様はダイレクトに「人は新しく生まれなければ神の国を見ることはない」と言われたのでした。
 人は新しく生まれないと、神の国に入ることはできず、神様と関係ないので、神様からの祝福は受けられず、それゆえ幸せはないということです。ニコデモはわからなくて、母の胎に入るのかと尋ねたのですが、新しく生まれるとは、そういう意味ではありません。
人は自然出生のままでは罪を犯したままの状態で、生まれながら御怒りを受けるべき子の状態です。罪を犯しているので、悪魔から出た者と言われるしかなく、神様を離れて、滅びと運命にとらわれて生きて行くしかありません。そして人生を終えるときには、さばかれて、永遠の地獄に落ちるしかないのです。死と罪の原理にとらわれ、暗やみの国に住んでいる状態です。ここから出て、神の国に入ることが幸せです。そのためには、新しく生まれないといけないのです。
 新しく生まれるには、道は一本しかありません。道であり、真理であり、いのちであるキリストだけです。神様と出会うまことの預言者、悪魔の頭を踏み砕くまことの王、罪とのろいによる神様の御怒りを完全に洗うことができるまことの祭司、キリスト以外は新しく生まれる道はありません。キリストに幸せがあることを聖書は教えているのです。キリストにすべての焦点を合わせて、キリスト一本に絞るようにしましょう。そのほかのことは勘違いであり、サタンが刻んだ考えでしかないので、私たちの幸せは新しく生まれるしかなく、その道はキリストしかないことを心に刻みましょう。
 そのキリストがイエス様です。ですから、イエスを信じて受け入れることによって、サタンの手から完全に抜け出し、神様とともにいるようになります。昔の人生は死んで、自然出生のすべてがなくなります。これが新しく生まれることです。信じると、聖霊が与えられ、永遠のいのちが与えられます。そして、暗やみの中の不幸な人生から完全に解放されて、神様がともにおられ、導きガイドして天国まで保証されるようになります。イエスを信じた瞬間、このようになるのです。イエス以外には幸せはありません。他のことが幸せだと勘違いして、左右されないようにしましょう。
 結論として、自分の幸せな基準はなにかと点検してみましょう。神様の前で、正直に自分に問い、修正するようにしましょう。イエス・キリスト以外のことで、幸せを左右されないと宣言しましょう。これがすべてのスタートです。そしてイエス・キリストを信じて受け入れたので、自分は永遠に変わらない幸せを手にいれた幸福者だと宣言しましょう。新しく生まれたということを黙想して、自分と自分の人生に宣言しましょう。くりかえし宣言して、ただ聖霊が臨まれると証人となると言われた、このこと以外は気にすることはなにもないという結論が出るようにしましょう。これが自分のことだと黙想するのが信仰生活です。そして、イエスの証人となるようにと、聖霊充満だけに集中して祈りましょう。これが実践です。感情がどうであっても、これだけにこだわるようにしましょう。幸せはイエスにあり、私の内側にイエスがおられるので、幸せは私の内にあることを確認して宣言する一週間になることを祈ります。