日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
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メッセージ要約版

2013年9月29日

信、不信の格差(ヨハネ3:16-21)
 クリスチャンは、どんな状況であっても、たとえ心配せざるをえないと思うしかなくても、その場で賛美をささげることができる存在です。しかし、だまされてしまって、まことの神様の祝福が見えずに、心配してつぶやき、ねたみにとらわれることがあります。それは、まことの感謝を失っていることが原因です。クリスチャンとして、まことの感謝を回復するなら、ヨセフやダビデのように実りある人生を必ず送るようになります。今日、イエスを信じることと信じないことの格差がなにかを知り、感謝せざるをえない存在になっていることを心に刻みましょう。
 イエスを信じていないなら、どれほど成功して立派でも、その人は滅びている状態です。世の中の人は、滅びを信じず、成功すれば人生が平安になると思い、追求していますが、どんなに成功しても、滅びの状態にはまったく関係がないのです。歴史や聖書を見ても、立派なバベル塔をたてて、すばらしい人間だと誇っても、いっぺんに崩れて虚しくなる姿を見ることができます。イエスを信じないと、暗やみの力にとらえられていて、自分がだれなのかもわからずに生きるようになります。パウロが、世の中の誇りは、暗やみ、滅びにはまったく役にたたないので、ちりあくただと言いました。霊的な事実がわかると、すべての人が罪に定められ、さばかれるしかない状態にいることがわかるでしょう。罪とさばきの中にいる人がどんなに努力して成功しても、まことの安らぎがなく、いつか崩れてしまうしかないのです。ローマ3:23、3:10、エペソ2:1にあるように、罪をかかえた罪人で悪魔に仕えて世の風習に従うしかありません。悪魔から出た者だと言われています(ヨハネ8:44)。
 イエスを信じると、そのとたん、だれでも、完全に罪とさばき、悪魔の手の中から完全に救い出されます。信じて受け入れたら、いまどんな状態であっても光の中にいます。滅び、のろい、悪いこと、不幸は、光の中ではいっさいありません。信じるだけで永遠のいのちを持ち、永遠に神様に保証され、永遠に安全です。どんなことがあっても、イエスを信じることがどういうことなのか、そこに思いを向けて、集中しなさいと神様はおっしゃっています。イエスを信じることですべて終り、ハッピーになっていることに気づく信仰の状態にしようと、神様はすべてのことを動かしておられます。信じることと信じないことは、天国と地獄の格差なのです。
 なぜイエスを信じることが天国になるのかというと、イエスこそが約束のメシヤ(キリスト)であり、御名を呼ぶと答えられるからです。アダムとエバのときから、人類の希望はただキリストしかありません。問題は悪魔のしわざなので、キリスト以外には希望はないのです。その証拠は、旧約聖書でイスラエルの民を通してあらわされました。その唯一の希望のキリストがイエス様です。イエス様は十字架と復活で、ご自分がキリストであることを証明されました。人生の評価基準、分かれ目は、イエスを信じるか、信じないかであると結論をくだしましょう。
 それなら、イエスを信じている私はまことの感謝をささげるしかないでしょう。ほかの条件にだまされず、ただイエス・キリストを信じて受け入れたこと、このこと1つで感謝しましょう。そうすれば、暗やみが砕かれます。感謝できるなら、過去も現在も未来も、私は幸い、祝福された、幸せな者という確信を持つようになるでしょう。いまの私の考えにだまされないようにしましょう。感謝をしていると、神の国が見えるようになります。イエスを信じたことによるまことのプライド、自負を持つようにしましょう。そうすれば、心に余裕ができて、ほかの人が見てもわかるようになります。
 いつも大変な問題があっても、自分に「私はイエスを信じている者なのか」と問いかけましょう。信じていないなら、受け入れの祈りをしましょう。信じているなら、信仰のほかに引っかかることはありません。ためらわずに、救いの祝福を楽しみ、黙想して祈りで告白しましょう。朝起きたら必ず、私は救われたと、救いの祝福を喜び、楽しみましょう。それを習慣にしていると、どんなことが起きてもその告白をすることができます。永遠のいのちがあり、滅びとは関係ないと告白して、伝道という契約に方向を合わせましょう。自分の人生にプライドを持ち、光を照らす福音伝道のために生きていると告白しましょう。そして、感謝しながら、いのちの実が結ぶことを期待しましょう。期待しつつ知り合いの名簿をつくり祈りましょう。そして、聖霊充満にオールインして、祈りに専念していきましょう。そうすれば、すべて神様の御手によって解決されるのを見るようになるでしょう。