日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

2013年10月27日

奇跡よりたいせつな信仰(ヨハネ4:43-54)
 今日の聖書箇所では、イエス様が最初に奇跡を行われた故郷に戻られるときのできごとが書かれています。故郷に向かわれるときに、故郷では尊敬されないと言われたのですが、実際には人々が歓迎したと書かれています。しかし、それはイエス様が望まれる歓迎ではなく、ただ奇跡を求めて集まっただけだったのです。その中で、王室の役人が異邦人であったのにもかかわらず、信仰をもってイエス様のところに息子をいやしてくださいと言いにきたのでした。そして、息子はいやされてその役人の家族が信じて救われました。今日、この箇所から、まず私たちが自分に質問すべきなのは「私たちの人生においてもっとも重要なこと、もっとも必要なことはなにか」ということです。その答えを知るためには、神様を離れた人間の姿を正しく知らなければなりません
 神様によって造られ、神様とともにいて祝福されて生きるべき人間が、神様から離れたということは、なにかをなくした程度ではなく、人生の根本からどうにもならない滅びの運命にとらわれてしまったことです。この運命の問題は、なにかをどうにかしたら解決するようなことではなく、人間の条件がどうであるかはまったく関係ない、根本的にすべての人が持っている、絶対に解決不可能な問題なのです。すべての人が罪を犯して神からの栄誉を受けることができず、生まれながら御怒りを受けるべき子として生まれてくるので、どんなにがんばって努力しても、どんなに発展しても、どうしようもない滅びに向かうしかありません。これに気づくことが、神様の恵みであり、すべての鍵です。神様を離れている以上、どんなにすばらしいことがあっても、良い環境や大きな変化があっても、まことの幸せ、平安、安らぎ、希望を持つことはできません。それを求めてがんばって悩んで、戦争さえ行って手にいれようとしても、結局はむなしく、いつも消えない不安を抱えて疲れて生きるしかないのです。なにかに束縛され、逃げることもできず、自由に生きることはできません。これが神様を離れた人の状態です。
 神様を離れた人の状態を正しく知らないので、奇跡やしるしを求める人生を送るようになります。つまり、霊的な事実を知らないので、肉的なことを求めるだけになるのです。サタンはこれを利用してだますので、人をなにか超能力的なことへ引っ張っていきます。それは、根本の治療とは無関係なので、失敗に終るしかないのです。
 これらのことを知れば、人間にもっとも必要なことは奇跡ではなく、まことの神様を離れ、滅びの運命の中で、サタンに霊的に支配されている問題を解決することであるということがわかります。その解決の道がキリストです。人間の唯一の希望はキリストなのです。奇跡では人生は変わりません。キリストが絶対に必要なことで、そのキリストがイエス様です。これに気づくことがもっとも重要なことなのです。言い換えると、人間に必要なのは、まことの救いへと導く信仰であり、それは、イエスをキリストと信じる信仰です。その信仰ゆえに奇跡があらわれるので、奇跡ばかりを見るのではありません。
 イエスをキリストと信じて受け入れたなら、イエスがキリストという信仰告白を最高の位置に置き、最優先にすべきです。そのような信仰が与えられたこと自体が最高の奇跡であり、その信仰によって正しいまことの奇跡を体験するようになります。そして、その信仰告白を持っている自分は、肉的なこととは関係なく、最高の人生であり、最高に幸せで豊かな者であるということを確認しましょう。それが自分の喜び、確信となるまで、考え続けましょう。「イエスはキリストであり、それを信じることによって自分には永遠のいのちが与えられ、すべての運命、不幸、問題は終わっている。神様が聖霊でともにおられるので、私は幸いな神の子どもであり、世界を変えるすべての条件を満たしてくださっているので、それが具体的にあらわれるように聖霊充満を求めればよい」ということを考え続けましょう。そうすれば、奇跡を求めるのではなく、神の国を求めるようになります。つまり、暗やみが砕かれ、いのちの働きが起きることを求め、なにがあっても福音が伝えられること、クリスチャンの兄姉にはキリストを豊かに味わうようになることを求めて祈るようになります。
人生にとって一番大事な宝は、イエスはキリストだと知って信じる信仰であると確認して、信仰告白を最高のところに置き、神の国を求め、聖霊充満を祈り求める一週間になることを祈ります。