日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

2013年11月3日

まことのいやし主イエス(ヨハネ5:1-9)
 文明が発展し、医学が進歩しているのにもかかわらず、人間の苦しみは続いています。さまざまな苦しみがある中で、病気の苦しみは大きく、治りたいと必死になってあがいても、治らないので倒れ、あきらめてしまう人も多くいます。病気の苦しみは、実は、その苦しみでなければ見ることができなかった人生の隠れている重要な部分を見るためのタイミングなのです。その部分を見て、人生を総合的、全般的に治療する機会です。今日の聖書箇所に出てくる38年もの間、病気で苦しんでいた人から、本当のいやしとはなにか、そして、まことの健康な人生とはなにかを考えましょう。
 38年もの間、病気だったということは、不治の病、持病だったということでしょう。そこから抜け出すために、必死に努力したのですが、その努力が実を結ばず、悲しみ、落胆することによって、苦しみがより増していたと思われます。そのような状態なので、社会で仕事することもできず、まわりにも迷惑をかけるという二重三重の苦しみが伴っていたでしょう。そして、ほとんど希望なく、最後に迷信のようなものに頼って、ベテスダの池にいたのです。
 そのようにからだの病気が深刻な場合、心の病気に発展することが多いのです。イエス様が「よくなりたいか」と尋ねられたときに、その質問への答えではなく、水に入れないからダメだと絶望的なことを言いました。そのように絶望感という心の病気をわずらうようになっていくのです。そして、なぜ自分だけがという劣等感や自分を悲観する心の状態で、すべてねじ曲げて見てしまうので、すべてを否定的に見るようになります。なにかのせいにして、自分もまわりもすなおに受け入れられないのです。それを本人が気づかないので、人間関係を正しく持つこともできません。心の状態が被害意識でいっぱいで、それが進むと被害妄想にまで発展するのです。
 ほとんどの人が、自分の生まれ育ちで被害意識を持ち、物事を正しく見ることができないのに、その自分の見方を基準にして判断して見るので、どんどん人生がねじ曲がっていくようになります。このように心の病気は、人間にとって、大きな問題なのです。そして、心の病気は、脳や神経に影響を及ぼして、精神の状態も病気になります。
心の病も深刻なのですが、実は、人間には根本的に深刻な病気があることを聖書は教えています。それが「たましいの病気」です。人間が心を病み、精神を病み、からだを病むのは、たましいが病んでいるからです。たましいが罪と罪過で死んでいる状態で、すべての人が、いのちの根源である神様に永遠に会えない状態なのです。これがたましいの死です。いのちの祝福がまったくなく、そのたましいは悪魔に生まれながら支配されています。そして、滅びの運命に引きずられて生きいきます。そのようなたましいの病気の状態に根をおろして、さまざまな病気が現れます。このように人間は根本的に自分では治療が不可能な病気を抱えているのです。
ですから、まことのいやしは「たましいがいやされること」です。そうすれば、心がいやされ、肉の病気もいやされるようになります。神様のみことばがたましいに入り、それによって人生がいやされるようになります。神様を離れ、悪魔につかまり、罪と死の原理につかまっている人間をいやす道は、たった一本だけです。キリストが来られて、声をかけてくださることです。それは、福音のメッセージを聞くということです。そして、イエスがキリストだと知り、信じて受け入れることがまことのいやしです。
イエスをキリストと信じているなら、まことの唯一のいやし主を受け入れたのですから、自分がどれほど祝福されているかを知りましょう。自分が気づいていなくても、罪と死の原理から完全に解放されていて、死からいのちに移っていて、神の聖霊が宿っておられる神殿になっています。不幸な人生は終わりました。いまの現実がどうであっても、新しいいのちを持つ幸いな者で、圧倒的勝利者になっているのです。これから、それを実感していく過程が残っているだけです。たましいが生かされ、根本から変えられているという確信を持ちましょう。
イエスがキリストだと味わうために、キリストの福音のメッセージを黙想して、心に刻めばよいのです。みことばが心を支配するようにしましょう。そして、イエスがキリストと伝える方向に人生の方向を定めましょう。これがまことのいやしです。自分はいやしの伝道師として召されていると心に定め、プライドを持ちましょう。それが健康な状態です。そのようなすべてを実現するために、聖霊が臨まれると力を受けると約束してくださったので、聖霊充満を祈りましょう。この祈りができることが健康な人生であり、その人生のまわりに健康な神様の働きが始まるのです。健康な人生の主人公として生きていくように願います。