日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
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メッセージ要約版

2014年01月05日

正しく生きるとは(ヨハネ7:16-24)
 多くの人々が、自分なりに正しい人生を生きようと努力しています。しかし、思ったとおりうまくいかなかったり、そのとおりになったとしても、結局は崩れて難しくなることが多いのではないでしょうか。人それぞれ、正しいと思う基準があって、がんばっていますが、それが実は正しくないなら、どれほど残念なことでしょう。パリサイ人やユダヤ人たちは、自分たちなりにモーセの律法を守っていると思っていたのですが、イエス様は律法を守っていないと言われました。それは、24節にあるように、ただうわべによって生きているだけで、なにが正しいのかわかっていなかったということです。
 正しい人生は、うわべではなく、人生の真実を正しく知ることによって生きることができます。人生の真実とは、人間が創造主の神様によって造られた被造物だということです。神様によって「神のかたち」に創造された霊的存在で、創造主の神様に特別な目的を持って造られた存在なので、神様から祝福され、愛されてこそ満足して生きることができるのです。その人間が、神様に対して罪を犯し、神のかたちが壊れて、祝福を根こそぎ失ってしまいました。それが堕落です。罪による堕落は深刻な問題で、すべての人が神様の御怒りを受けるべき子(エペソ2:3)として生まれ、罪過と罪の中で死んでいます(エペソ2:1)。どんなにうわべで良いように見えても、たましいが死んでいるので、まったく希望はなく、絶望だけです。それゆえ、うわべで人と比べるのは、無駄なことであり、サタンのだましでしかありません。自慢も劣等感もまったく無駄なことで、最後はみんな死んでさばきがあります。
 このような人生の真実がわかると、人はまことの創造主の神様に出会い、神様とともにいるようにならないと希望はないとわかるようになります。神様と出会うしか答えがないと結論が出ると、キリストを見上げ、キリストを求めるしかありません。キリストとは、油注がれた者という意味で、人生の問題の解決のための役割を果たす人に油が注がれました。神様に出会う道を教える預言者、神様に会うのを邪魔する罪をとりのぞく祭司、根本的に支配している悪魔の頭を踏みくだいて勝利された王、この3つの役割をするキリストにだけ希望と答えがあります。キリストを求めることが、神様のみこころを求める者で、それが人生を正しく生きることです。神様はキリストを最初から約束されました。罪を犯したとたん、創世記3:15に「女の子孫が蛇の頭を踏み砕く」と言われ、神様ご自身が人間となってきてくださると約束してくださったのです。イザヤ7:14には、その名はインマヌエルで、神様がともにおられるようになるということです。
 キリストを求めるようになると、聖書が理解できるようになります。聖書はキリストを待ちなさいと言われ、そのキリストがイエス様だと教えています。律法もキリストを待ちなさい、キリストを見上げなさいと与えられたので、本当にキリストを待っていたなら、イエス様がキリストだとわかるはずなのに、ユダヤ人たちはイエス様を殺そうとしていました。それは、誘い込む霊によって真実がくもっている(Uコリント4:4)ということです。目をさまして、真実を見て、イエス様こそキリストであると告白しましょう。
 イエス様がキリストだとわかると、イエス様を救い主として心に受け入れるようになります。それが人生を正しく生きることです。善行やいのちをかけた献身をしていても、イエス・キリストを信じて受け入れないかぎり、正しく生きているのではありません。たとえ行いは劣っていても、イエスをキリストと信じて受け入れれば、神様から義と認められるようになります。本当に自分が真実を知ってイエスをキリストと信じて受け入れているので、正しい人生になっていると思っているかどうか考えてみましょう。
イエスをキリストと信じて受け入れると、暗やみから光に、不幸な人生からまことの幸せの人生に、滅びから永遠のいのちに、さまよいからまことの人生の光を持つ輝く人になります。新しく生まれ変わった、永遠のいのちに預かった人になるのです。この祝福は絶対に奪われることなく、神様の愛から引き離すことができるものはありません。自分の古い考えで正しいと思っていること、過去の否定的な思いや傷は、イエス様の御名に包んで捨ててしまいましょう。
うわべによらず、正しい人生を生きている自分と自分の人生にプライドと自信を持ちましょう。そして、新しいいのちが与えられているので、正しい者であると、そうではない人生から解放されていることを毎日確認しましょう。救いの祝福は私のものであると、神様の愛の中に深く入りましょう。ほかのことは見えなくなるほど、キリストと神様の愛と祝福に浸りましょう。そうすれば、自分の限界、環境の限界、まわりの攻撃による限界を越えることができるようになります。その結果、残りの生涯は、神様の願いである福音宣教、世界福音化に方向をすべて合わせるようになるでしょう。それが正しく生きることなのです。正しい人生に、一心、全心、持続して取り組むように願います。