日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
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メッセージ要約版

2014年02月09日

人生を分ける鍵(ヨハネ8:30〜32)
 クリスチャンは、ひとりひとりが、その人の能力とは関係なく、現場や現実で勝利するように召されました。それによって、暗やみの中にいる多くの人々を助けるためです。実際には勝利の姿が見られないなら、その原因を聖書を通してチェックして、クリスチャンの勝利を自分のものにしましょう。
 人はそれぞれ、自分の基準を持っています。それによって、幸せか不幸か、安全か危険か、良いか悪いかを判断しています。その基準が本当に正しくないなら、すべてがむなしくなります。今日の聖書箇所に出てくるユダヤ人たちは、自分のなりに正しいと思っていたのですが、それはちがうとイエス様が指摘されたのでした。イエス様の話を聞いてユダヤ人たちは、「イエスを信じた」と書いてありますが、そのあと、イエス様が言われたのは、ユダヤ人たちは自分がアブラハムの子孫だと思っているけれど、本当は奴隷であり、神様が父だと思っているけれど、実は悪魔の子だということでした。ユダヤ人たちがアブラハムの子孫だということ、神様が父だということは、だれも疑うことがないことで、世界中が認めていることでした。しかし、それがまちがった基準によることだとイエス様が言われたのです。
 人々は、外見や行いによって、自分の基準を作り、それによって判断、評価しています。人生は、そのような外見や行いを基準にするようなものではなく、思っている以上に深刻なものなのです。エペソ2:1で、罪過と罪で死んでいると言われているように、どんな条件も通じない深刻な状態です。世の流れの中で奴隷となっていて、生まれながら御怒りを受けるべき子だと言われているほど(エペソ2:2,3)深刻な状態なのです。父である悪魔(ヨハネ8:44)と言われ、ローマ3:23には、すべての人が罪を犯したと言われていて、義人はひとりもいないと言われています。絶対にきよめられることができない罪があることをエレミヤ13:23で、ひょうの斑点がかわらないように、消えないものだと言われています。どの民族でも、そんな仕事をしていても、どんな状況であっても、罪と死の原理にとらわれ、ほろびの運命の中を生きているのです(ローマ8:2)。そして、ヘブル9:27には、死んだらさばかれて、永遠のほろびの地獄に行くと言われています。これが、真実です。これを原罪と言います。
 自分たちが自由で幸せだと言っている人に向かって、この原罪ゆえにちがうということを、イエス様は言われています。私たちも、自分が良いと思って、成功だと思っていることが本当にそうなのかと、イエス様の前で修正しましょう。それを修正しないと、そこに引っかかって勝利を味わうことができません。
 では、どうすればよいのでしょうか。イエス様は「わたしのことばにとどまるなら」と言われました。イエス様のことばとは、福音です。福音が真理で、その真理を知り、従うなら、自由になります。イエス様のことば、福音が唯一の鍵です。
では、福音とはなんでしょうか。人は元々神様に祝福されて生きる霊的な存在だったのが、悪魔にだまされて神様に罪を犯し、神様を離れて悪魔に支配されるようになってしまいました。それは、人間自身では解決できなく、人間はほろびの運命にとらえられてしまったのです。そのような人間を神様は愛されて、問題を解決するために、罪をゆるすために犠牲のいけにえとなり、悪魔のしわざを打ち壊し、神様に会う道となるキリストを約束してくださいました。そのキリストがすべての問題の解決であり、ほろびの運命からの解放なのです。そのキリストは、預言されたとおりに、十字架で死に、三日目に復活されたイエス様です。イエスがキリストであることが真理です。これが福音です。
 この福音が聞こえて、イエスがキリストと信じる人がアブラハムの子孫で、神様が父となってくださるのです。イエスがキリストということが真理であり、これが人生を分ける鍵なのです。この真理以外を基準にしていると、それに引っかかって束縛されてしまいます。イエスをキリストと信じると、自由でありほかにこだわる必要はありません。信じて受け入れると、すぐに罪と死の原理から解放され、神様が聖霊で宿られ、いのちとなってくださいます。新しく生まれ、神様へと自由になるのです。自分が本当にキリストだけが希望であると認め、イエスがキリストという真理に立っているかどうかを吟味して考えてみましょう。
 人生を分けるのは真理だけです。福音以外の基準から自由になり、自分がだれなのか、自分の人生、考え、生きる目的を真理を基準にして再整理しましょう。そして、自分がどれほど幸いな者なのかを確認して喜びましょう。それから、真理の中の自由を思う存分、楽しみ、味わいましょう。神様とつながっている祝福を聖霊充満によっていつでも味わうことができます。束縛されていたことから、すべて自由になって、神様の祝福を思う存分味わい、勝利者となることをお祈りします。