日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

2014年03月16日

最も重要なこと(ヨハネ11:1-16)
 なぜ人間には幸せがないのでしょうか。それは、創造主であり、祝福といのちの根源である神様から離れてしまったからです。ですから、人間にとっていちばん大切なテーマは、神様と出会い、神様とともにいるようになることです。しかし、人間は自分からは、神様に出会うことができません。道がないからです。霊的問題、悪魔のしわざは、人間ではどうしようもないのです。神様と会うしか希望がない人間に、神様と出会い、すべての問題を解決することができるように、神様ご自身が人となってこの世に来てくださいました。そして、身代りにすべての罪を引き受けて、問題を解決して、道を開いてくださったのです。その方が、イエス様です。それで、イエスがキリストだと信じることで、神様に出会い、すべての問題が解決されるようにしてくださったのでした。つまり、人生の一番大切なテーマは、イエスをキリストと信じて神様と出会ったかどうかということなのです。神様にとって一番重要なことは、滅びるしかない人が救われることです。そのために、イエス様がキリストとして来てくださいました。それを信じたらよいだけです。つまり、信仰こそが一番重要なことです。自分の中に、ちがうことが重要なテーマになっているなら、すべて取り換えてしまうようにしましょう。人は重要だと思うことで、その人の人生のカラー、方向、選択が変わってしまうからです。今日の聖書箇所から、人生で一番なにが重要なのかの答えを得るようにしましょう。
 今日の聖書箇所では、イエス様がとても愛しておられた姉妹の弟ラザロが病気だったと書いてあります。イエス様はとても愛しておられ、病気がなおることが重要なテーマなら、すぐに行かれるはずなのに、イエス様は2日間、行かずにおられました。それは、ラザロが死ぬのを待っておられたということです。そのイエス様の行動が理解できるでしょうか。これは、祈っても答えが来ないということと同じことです。イエス様がそのようにされたのは、神様の栄光があらわされるためでした。つまり、イエスがキリストだとあきらかになるためです。そのために有利なら、そちらを選ぶということです。病気のいやしは、ほかの宗教でもできます。しかし、死んだ人を生き返らせるのは、キリストしかないので、弟子たちにイエスがキリストだと信じさせるために、わざわざラザロが死んで、墓に葬られて腐ってしまうまで待たれたのです。イエスがキリストと信じる信仰だけが神様に出会える道です。ほんとうにイエスがキリストだとあきらかにされることがいちばん重要だと考えるようにしましょう。
 神様がいちばん重要だと思われることを、自分もいちばん重要だと思うなら、見る目が変わるようになります。苦しみに見えるような道でも、義へ導かれる道だとわかります。つまり、イエスがキリストだと、はっきりわかる道に導かれるということです。イエスがキリストだとあきらかにされることだけが基準です。400年のエジプトでの奴隷生活から出てくるとき、10回も災いがあり、イスラエルの民も苦しみました。それは、羊の血以外はないということを、徹底的にイスラエルの民の心に刻み込むためでした。イエスがキリストということが、心により深く刻まれることが重要なのです。アブラハムも、101歳まで子どもが生まれなかったのも、イエスがキリストという信じる信仰を刻むためです。ノアの時代の大洪水も、イエスがキリストという約束を持っているノアを守るためでした。キリスト以外は道がないことを明確に示されるのです。苦しみがあっても、だからこそonlyキリストになると、キリストを信じる信仰が大切だと見るようにしましょう。
 見る目が変わるようになると、質問がかわります。「なぜ苦しいのですか」ではなく、「この状況を通して、どのような神様の栄光を現そうとされているのですか。キリストの栄光のためにどのような計画があるのですか」という質問になるでしょう。たとえ困難でも、神様の栄光のためとなると、暗やみが砕かれるようになります。
 そのようになると、実際の選択が変わるようになります。イエスがキリストだとあきらかにされ、神様の栄光があらわれるほうを選択するようになります。パウロはローマ市民権を使わずに刑務所に入るほうを選びましたし、ヨシュアは主に従うという宣言をし、ダニエルは偶像崇拝にささげた肉を食べないと決め、死ぬとわかっていても、礼拝をささげました。また、三人の友人も、火の中に入るとしても、神様が栄光を受けられるほうを選択したのです。私を通してイエスがキリストとあきらかにされることが、神様の願いだということを心に刻み、人々がイエスを知って信じることを、いちばん大事なことにするようにしましょう。
 状況に奪われて、信仰告白をのがさないように、いつもイエスがキリストと告白し、状況が悪ければ、よりはっきりと「にもかかわらずイエスはキリスト、だからこそイエスはキリスト」と告白する機会にしましょう。まごころから、告白するなら、とらえられていたことから解放されて、神の国に立たされていることがわかります。神様がともにおられ、導かれ、計画がある神の国にいるので、ちがう国に生きているのです。神様にコントロールされ、神様の聖霊に導かれる力を受け、すべてが益とされる世界に入ります。自分が重要だと思っていることを切り替え、まちがっている質問、見方が変えられるなら、すばらしい神の国を生きる祝福を味わうようになります。いちばん大切なのは、イエスがキリストとして栄光を受けることだと告白して、信仰が強められ、より深くなることをお祈りします、