日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

2014年05月18日

止まらない愛((ヨハネ13:1-11)
  いま、あちこちで災いや争いが起き、人々も心の中にまことの平安はなく、もがき苦しんでいる時代です。答えのないこの世の中で、唯一の答えを与えることができるのが、クリスチャンである私たち信者です。そのような存在になっているのにもかかわらず、私たちが自分の弱さや、問題、あやまちに引っかかっていることが多くあります。そのような不要な消耗戦ではなく、未信者を生かして、世に希望を与える本分をはたすには、どうすればよいのでしょうか。その答えが、今日の本文にあります。
 今日、イエス様が弟子たちの足を洗われた場面です。足を洗うのは、一番下っ端の奴隷がする仕事なのに、それを主と呼ぶイエス様がなさったので、弟子たちはほんとうにびっくりしてしまいました。そのような弟子に向かってイエス様は、「いのちの福音によってきよめられた者は、すでに全身きよい。ただ足が汚れるので、それを洗えばよい」と言われたのです。その行為について、聖書では、「愛を残ることなく示された」と言っています。クリスチャンの弱さ、失敗、過ちの課題をどうしたらよいのでしょうか。
 まず、弱さ、失敗より前に、根本を変えて新しくしてくださったイエス様からはじめましょう。すでに全身がきよめられているので、足が汚れることがあっても、足もきよめてくださるのです。真っ先に、私は根本から新しくなって変えられ、イエス様の愛を受けていると確認しましょう。十字架によってすでに全身きよくされている、十字架の愛からはじめるのです。すでに大丈夫です。ここからスタートしましょう。いのちの御霊の原理が、死と罪の原理から解放したと言われています。死からいのちに完全に移っています(ヨハネ5:24)、そのためにイエス様が十字架にかかり「完了した」と言われたのです(ヨハネ19:30)。そのイエス様を受け入れたので、律法を守ると祝福され、守らないとさばかれるというルールがなくなってしまいました。二度と罪に定められません。罪を犯しても、罪によってさばかれない世界に変わってしまったのです。
 そのスタートをしたあと、その次に、イエス様の愛はいまも、これからも、止まらないので、その愛を受け続けるようにしましょう。私にはなにもできないので、イエス様が足を洗ってくださるのです。残さずに愛を与えてくださいます。その愛に頼るのです。悔い改めとは、イエス様の愛に戻ることです。イエス様の十字架の愛しか希望はありません。信じて救われたあとも、足が汚れるのをイエス様はご存知です。それゆえ、なにも心配せず、止まらず流れ続ける愛に頼りましょう。
 そして、救いを必要としている人々が私たちのまわりにいることに目を向けましょう。十字架の愛しか処理する道はありません。それを必要とする現場の未信者に目を向けましょう。イエス様の止まらない愛に頼り、なににもとらわれなくてよくなったことに感謝と感激をもって賛美をささげ、世の光、王である祭司という存在に変わっていることを確認しましょう。それがクリスチャンの本分です。そして、伝道のために召されたと、存在の理由を確認しましょう。そのとき、現場の門が開かれます。私たちは現場に派遣されている者です。また、新しい契約の民として、使徒1:8の約束どおり、世界福音化のために現場に行く者です。内にキリストがおられるので、光が現れるようになっています。信じて祈りましょう。自分の弱さを処理する理由は、未信者に向けて、いのちの福音を伝えるためです。
 自分の弱さ、失敗、問題を、いままでの見方ではなく、根本から変えられて、きよめられたこと、止まらない愛を受けていることを確認する機会にしましょう。そして、新しい契約をにぎり、伝道者の位置に立って、すべての基準を契約にしましょう。使徒1:8の世界福音化と伝道です。現場の伝道を邪魔する理由は存在しません。神様が門を開いてくださるでしょう。
 すべての基準を捨てて、弱さ、立場、どうであっても、使命の中に入れて、祈りつつ未信者に向かっていく一週間になることをお祈りします。