日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
http://jremnant.net/


メッセージ要約版

2014年05月26日

互いに足を(ヨハネ13:12-20)
   クリスチャンとして神様に選ばれた私たちは、現場で勝利するようになっています。ところが、教会がどれほど価値があり、尊く大事にすべきなのかがわからないと、祝福と答えを逃すようになります。今日、イエス様が弟子たちの足を洗われたあとに「わたしがしたように、互いに足を洗いあいなさい」と言われた意味を考えながら、どれほど教会が貴重で尊いところなのかイメージを正しくするようにしましょう。
 私たちは、多くの場合うわべを見て、自分で決めていますが、教会像をそのように決めてはいけません。教会は、キリストの血の代価で買い取られた尊い存在なのです。イエス・キリストを告白したすべての人が、教会であり、その人々の集まりが教会です。なににも比べられない、本当に尊い存在で、キリストのからだなる教会と言われています。預言されていたキリストが実際にこの世に来られ、すべてを完了されました。暗やみを打ち破り勝利された万軍の主であり、いま天で支配し、生死災い祝福のすべてを治めておられる、その方が頭であり、そのからだが教会です。つまり、頭とからだとして一体化されているとうことで、イエス様と同じ価値があるということです。ひとりひとりに聖霊が宿られている神殿であり、世のどこにもないものです。どんなにうわべは弱くても、ほろびないように神の聖霊が宿っておられるとても尊い存在に、根本から変えられています。人間の本質は、内側の霊で決められます。私たちには聖霊が宿っておられます。そして、霊であり、祝福の基で、いのちであり、希望である神様と、この地上をつなぐ存在となっているのです。暗やみの中で滅びるしかないこの世の中で、唯一希望になる存在です。それゆえ、世の光だと言われました。キリストのほかには希望はないと告白する教会は、この世の唯一の希望なのです。政治にも医学にも宗教にも希望はありませんが、唯一の希望であるキリストを持って、そのキリストを伝えて、神の国を広げることができる教会は、絶対的に貴重な存在です。それを忘れないようにしましょう。
 しかし、実際に現実を見ると、とても弱く未熟な面があります。その弱さを通して失敗やあやまちもします。聖書の教会も、さまざまな弱さがあったゆえに、使徒たちが手紙を書いたのでした。そのような弱さがあっても、尊い、貴重な、世の唯一の希望であることはまちがいありません。それゆえ、教会内のルールは、互いに足を洗いあうことなのです。教会はグループやサークルではなく、制限はなにもなく、だれでも集えるところです。それゆえ、いろいろな人が集まり、いろいろなことがあります。そこで、つまずくのではなく、貴重な尊い、世の唯一の希望であるので、最高のルール「愛のおきて」があるのです。止まらないイエスの愛を受けて、その愛をもって他の人にもその愛でフォローするのです。善悪、正しい、まちがっていると、けじめをつけるのは、教会のルールではありません。常識、道徳、倫理、自分のスタイルやルールは、世の中のものですから、それを教会で適用してはならないのです。互いに愛しあい、足を洗いあう、これが教会のルールです。その理由は、表面で判断するからではなく、弱さがあっても、その人は唯一の希望であるキリストがあるので、貴重で大事にすべきなのだからです。このルールを守るときに、世に光を照らす門が開かれます。そのように光を照らすことが、教会の本論なので、邪魔するものはいらないのです。弱いからこそ、イエス様が必要で、イエス様の愛が必要だと、相手がイエス様の愛を受けるようにしてあげるのが、クリスチャンの姿勢です。
 そして教会の本来の道を歩みましょう。暗やみの世に、キリストを伝えて世を生かすことが目標です。どうすれば暗やみの現場で光を放つことができるように助けられるのかを考えあうようにしましょう。そのことのために、聖霊の満たしを求めましょう。このように福音と伝道に絶対的基準をおいて、神様のメッセージを聞くようにしましょう。そうすれば、判断も変わり、教会生活も成功し、人を勝ち取るようになります。それが人生の成功です。
 まず、自分が止まらないイエス様の愛を毎日、毎日、体験しましょう。イエス様の愛を思い出し、すべてをまかせて福音宣教に進みましょう。そして、互いに足を洗いあうルールで考えましょう。人生の目標を伝道に固定して、すべての理由を伝道のためにしましょう。そして、もっと積極的に互いに伝道者としてしっかりと立つことができるように、祈りあいましょう。