日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

2014年06月22日

新しい戒め(ヨハネ13:31-35)
  最後の晩餐のときに、ユダにサタンが入り、ユダが出て行ったあと、弟子たちだけが残ったところで、イエス様が「新しい戒め」、「互いに愛し合いなさい」ということを与えられました。なぜ新しいと言われたのでしょうか。また、どのようにすれば、新しい戒めを守って、祝福を自分のものにできるのでしょうか。今日、その質問の答えを持って、イエス様の弟子としての祝福にあずかるようになりましょう。
 新しい戒めを見る前に、古い戒めについて考えてみましょう。古い戒めとは、十戒です。十戒は、すべての人に与えられたのではなく、特別な目的を持って選ばれたイスラエルに、とても重要な契約のために与えられたのでした。その契約は、アダムとエバが罪を犯したとたんに与えられたものです。罪を犯して、人の力では解決して幸せになることはできず、ほろびしかないので、神様からキリストを送り、あがないの犠牲のいけにとなってくださることによって、いのちある新しい希望の人生に変えてくださるというものです。つまり、神様がキリストを送り、身代りに十字架で死んで助けるという契約です。契約はキリストであり、そのキリストが来られる準備をするための契約の民のイスラエルに、その契約のために与えられたのが十戒でした。契約抜きでは、戒めは理解できないのです。その戒めの内容は1〜4戒までは神様を愛しなさい、5〜10戒までは隣人を愛しなさいということで要約できます。それは、契約がいのちよりも大事なので、一瞬たりとも忘れてはならないという意味だったのです。キリストによってのみ救われて希望が与えられるので、契約は本当に大切で、そのために召された民であることを忘れないようにと戒めを与えられたのでした。契約なしに戒めを考えると、律法になってしまい、弟子の祝福をのがしてしまうようになります。キリストが来られるまで、備えて、互いに配慮するべきだと契約をなによりも大事なこととして対処しなさいと古い契約である十戒が与えられたのでした。
 イエス様がキリストとして来られたので、キリストを待つための古い契約は成就しました。それゆえ、新しい契約が与えられ、その契約のための新しい戒めが与えられたのです。新しい契約は、イスラエルの民の役割は終わって、いまはイエスをキリストと信じて受け入れる人が、新しいイスラエルとなって、その人々を通して、全世界、地の果てまでイエスが宣べ伝えられ、いのちの祝福が広がるということです。その契約がいのちより大事なので、その契約のために召された教会、信徒は互いに愛し合いなさいという戒めが与えられたのでした。戒めは、契約を見出すために存在するもので、契約を一瞬たりとも忘れてはならないという意味で、戒めが与えられたのです。教会、信徒を通して世界中に救いの祝福が伝えられることは、なによりも大切なことです。この契約のために、愛し合うべきだと、契約を絶対的な基準としましょう。世界福音化、福音宣教がなによりも大事なことなのだと、確認しましょう。
 キリストのほかには希望がないと、新しい契約である世界福音化、福音宣教を握るとき、人生が変わります。弟子の祝福が与えられ、いのちの祝福によって、あとのすべては加えて与えられ、あかしを持つ人生となります。その契約のために、自分の現場で世界を見ながら、どのように伝道者として生きて行くか、また、どのように人々をフォローするのかという目標を持ちましょう。愛し合いなさいと言われるのは、その目標のためです。人々が世界福音化、福音宣教の契約に立てるように、助けてあげるのです。
 世界福音化のためには、教会がどれほど大事なのかを確認しましょう。そして、今日から自分のアイデンティティを契約によっていつも確認しましょう。私は伝道者であると感謝しましょう。そして、個人的に新しい契約の祈りが確立するよう工夫しましょう。世界福音化と伝道にある自分の祈りの課題を見つけましょう。そして、契約を一瞬たりとも忘れず、教会を見る目を変えましょう。信徒ひとりひとりがどれほど大切かを覚え、とりなしの祈りを実践しましょう。基準は新しい契約です。契約はいのちより大切だと認めて、契約をまっとうするために必要なのは愛だと知りましょう。そのとき、まわりの人がイエスの弟子だと認める、弟子の祝福の中に立つようになるでしょう。