日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
http://jremnant.net/


メッセージ要約版

2014年06月29日

人の限界(ヨハネ13:36-38)
  世の中の人は、人間には限界なく、発展して変化することができると錯覚しています。しかし、歴史を振り返ると、実際には、どんなに発展しても、まことの幸せがもたらされることはなく、限界にぶつかっているのです。今日の聖書では、その当時、イエス様のいちばんの弟子であったペテロが、主のためにならいのちも捨てると言うのですが、後にイエス様を否定する限界がある者だということがわかります。私たちは限界がないとごまかす必要はありません。正直にみとめ、それをチャンスにしていきましょう。
 人間は限界がある存在だということは、旧約聖書を見るとあきらかです。人は、どんなに努力をしても、強い意思を持っても、罪を抱えている存在なので、限界を乗り越えることはできません。世の中は努力をすれば救われる、経済が発展すると幸せになると教えますが、どんなに経済が豊かでも、知識や知恵が豊かで、文明が発展しても、人は限界にぶつかることがノアの箱舟、バベルの塔で示されています。また、神様が選ばれた特別な存在であるイスラエルでしたが、神様がどんなに特別扱いして、導かれても、いつも裏切り、信じることはなく、限界をこえることができなかった姿を見ることができます。人間は、なにがどうであっても、可能性がない、根本から腐っている存在なので、限界にぶつかるしかないということです。この神様の御声を聞いて認めるべきなのです。義人はいない、生まれながら御怒りを受けるべき子だということを認めることから、まことのスタートをはじめましょう。
 人間ではどうしようもないので、神様は最初からキリストを送ると約束してくださいました。ですから、自分が限界にぶつかるときは、キリスト以外は希望がないということ、キリストが人生に絶対に必要だと見るチャンスにしましょう。人は根本から可能性がない存在なので、キリスト以外は自由がないという真理を認めるとき、すべてから自由になります。限界は真実を見るときなのです。
 また、限界があると認め、キリストしかないと信じて受け入れた信徒にも限界はあります。ペテロがそうでした。イエスこそが、すべての問題を解決されたキリストだと告白して従っていたペテロでしたが、環境、自分の弱さ、霊的問題により、信仰の意欲はあっても、そのとおりにならない限界を迎えたのです。それは、今日の本文の場面では、まだ、イエス様が十字架と復活をとおっておられなかったからです。十字架と復活を通るときに、この限界をこえることができます。自分が限界にぶつかったときは、キリストの十字架と復活を見上げるチャンスであり、それを信仰の土台にするときなのです。
 どうすれば、限界をこえて、イエスの証人としての正常な生き方ができるのでしょうか。それは、十字架と復活以降の信仰によってできます。イエス様は十字架にかけられ、死なれたあと復活して、天に昇られました。そして、万王の王となっておられます。それによってはじめて、聖霊が信じる者の中に入られ、信じる者は神様と一体になる祝福を受けることができるのです。それによって、使徒の働きの内容がスタートしました。イエス様が十字架で死なれ、よみがえられたことによって、私たちの過去は、完全に葬られ、私たちはまったく新しい被造物になったのです。神様ご自身が内住される新しい存在です。ですから、もうなにも心配することはなくなりました。いつでも限界をこえることができるようになったのです。
 いま、まだ限界があるとしたら、十字架と復活を土台しなさいというサインです。十字架と復活によって、聖霊が内住されている祝福を確認しましょう。最高の祝福の神の子どもになっているのです。暗やみが支配している世の中で、暗やみを砕き、神の国のため、つまり、福音宣教のために生きる存在になりました。このことを認めるときに、限界をこえることができます。聖霊充満を受けると、すべてを越えて証人となります。
 限界は真実を見せるためのものです。十字架と復活の上に立ち、聖霊が内住されているのでなにも問題にならないと、ただ聖霊充満にしぼって祈りに専念しましょう。そのとき、限界をこえる祝福にあずかり、世界福音化の主人公として歩むことができます。契約を絶対的なものとして握り、祈りを武器として、福音宣教のために聖霊充満を求めましょう。実際に限界が崩れるのを見る証人となるでしょう。限界をチャンスとする祝福があることをお祈りします