日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
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メッセージ要約版

2014年07月20日

イエスにある平安(ヨハネ14:25-31)
 心に揺れない平安があるのなら、人生に勝ち、希望にあふれる人生の門が開かれます。それゆえ、人生を生きるのに最強の武器は平安だと言えるでしょう。人々が争い、戦争にまでなるのは、心の根底に不安があるからです。不安が生活の一部のようになっているので、偶像に頼り、占いに頼るようになるのです。社会的な問題になっている脱法ハーブも、最初、好奇心からはじめたと言われますが、それも不安があるからです。不安があると、あせってしまい、正しい判断ができません。また、不安が外に向かうと暴力になり、内に向かうと引きこもり、なにかにはまるようにもなります。そのような不安を消そうとして、富、学歴、知識を求めますが、そのようなものでは不安は消えません。
世の中の人々が求めている平安は、一時的なものであり、しばらくしたら壊れてしまうことしかありません。なにかによって左右される相対的なものです。なにかにのめりこんだり、なにかをやりとげた達成感で平安を手に入れたかのように思うのですが、それらはしばらくすると消えてしまいます。また、主観的な平安なので、それでよいと思いこんでいるのですが、感情的なものでしかありません。どこにいけば、まことの平安があるのでしょうか。
人は神のかたちに創造されたので、神様とともにいるときに、平安を持つことができます。インマヌエルこそが、まことの平安なのです。ともにおられる神様が、全知全能、永遠で、完ぺき、完全な方であるので、その方を信頼するときに与えられるのがまことの平安です。そのようなインマヌエルを手に入れるにはどうしたらよいのでしょうか。神様は目には見えないのですが、助け主聖霊を通してともにいるようにすると約束してくださいました。聖霊がともにおられるときに、平安を受けます。聖霊はすべてのことを教えて、思い起こさせてくださるのです。みことばは、どんなに聞いても、理解できません。そのようなみことばを聖霊によって悟らせてくださり、理解できるとき、平安が与えられます。
聖霊がともにいて、みことばを悟らせてくださることは、人間の努力はなにかでは絶対にできません。悪魔のしわざによって、人間が神様から離れて罪を犯したからです。それゆえ、神様から遣わされるキリストが、身代りとなって罪の代価を支払い、悪魔の頭を踏み砕いてくださったのです。そのキリストがイエスだと信じる人には、まことの平安が与えられます。まことの平安は、イエス・キリストの中にあるのです。イエスの中にある平安は、一時的なもの、相対的なものではなく、絶対的なもので、なにがあっても左右されるものではありません。いままでの人生で、サタンに教えられたいつわりをそうじするため、みことばで悟らせてくださるとき、まことの平安が与えられます。神様はイエス様の十字架、死、復活によって、だれでもイエスの御名を呼ぶ者は聖霊がともにおられ、平安が与えられるようにされたのです。世が与えるのとはちがう絶対的な平安によって、いままでのルールや幸せ観から解放されましょう。イエス・キリストにあるまことの平安は永遠に変わらないものです。
そのようなまことの平安の中を歩むと、まことの戦いをすることができるようになります。契約の道を歩み、神様の願い、地球の必要である福音宣教のために生きるようになります。まことの平安の結果、隠れていた契約の世界のとびらが開かれるのです。この世のことは、価値がないとわかり、まことの平安の主であるイエス・キリストを、平安がなく滅びる人に伝えることを願うようになります。福音宣教と伝道という神様の願い、契約のための今日であるとわかるようになります。
 まことの平安という人生最高の武器を持ち、自分がその平安の主人公だと確認しましょう。平安は、イエス・キリストにあります。ですから、なにがあっても優先して、イエスがキリストであることを黙想しましょう。そして、その中で自分がどうなったのかを繰り返し確認しましょう。そして、平和の主人公として、平安が与えられるしかない理由、味わうしかない理由である福音宣教を考えて、聖霊充満を求めましょう。不安が来ても、信仰告白によって不安から出て、聖霊がともにおられる、まことの平安の主人公の人生を送るようにお祈りします。