日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

2014年09月27日

十字架のイエス様−その1(ヨハネ19:17-18)
 いま世界には、戦争や民族の対立が絶えず、自然災害、飢饉、地震、洪水、病気、伝染病などの災いが続いています。また、個人は不安を抱いて、人生に自信が持てず、孤独にとらわれて生きているので、疲れて重荷を負って倒れるしかない状態です。これは、聖書に預言されたとおりのことであり、昔から続いていて、これからも地球が終わるまで変わらず続くでしょう。なぜ、このように混乱の中で生きるしかないのか、苦しみの本当の理由を正しく理解する必要があります。
 聖書に言われているのは、苦しみの理由は、人間が創造主であるまことの神様から離れて、祝福の関係が絶たれたからということです。いのちの祝福の基であるまことの神様を失ったので、見ることすべて、思いもだまされています。そして、空中の権威を持つ悪魔に振り回されていて、そうなるしかない罪を抱えているので、苦しむしかないのです。これを原罪と言います。それゆえ、どんなに人が努力して、工夫しても、生活は便利になるかもしれませんが、本質的には変わることはありません。時間をかけても、工夫、努力をして、政治を変えてもできることは、すべて表面的な変化でしかなく、本質から変わるまことの人生の変化ではありません。私たちは、まわりを見ながら、根本的に変わる、まことの人生の変化が必要だと考えるべきです。
 このまことの人生の変化は、神様でないとできず、聖なる神様の働きでなければなりません。失った神様といっしょになり、サタンの支配から出て、罪がきよめられ、ゆるされるのは、神様にしかできないのです。神様はこの世を愛しておられ、このまことの人生の変化のために、キリストを送ってくださいました。キリストは、人のまことの変化のために、悪魔の頭を踏み砕き、罪をきよめ、神様といっしょになるようにしてくださいます。そのための方法として、罪人の身代りとなって死んでくださいました。それをあがないの死と言います。あがないの死によってのみ、まことの変化が与えられるのです。つまり、十字架は、人のまことの変化のための神様の働きの完成です。人間の目で見ると、凶悪な犯罪者として死なれたのですが、そのイエス様の死は、地球とひとりの人生に、まことのいのちの幸せ、まことの変化のための働きなのです。十字架の第一のメッセージとして、人生のまことの変化は、神様の聖なる働きでなければ与えられず、それはあがないの救いの力によるしかないことを覚えましょう。
そして、十字架上のイエス様こそ、全人類の人生とひとりの個人の運命の永遠の分かれ目なのです。イエス様が十字架にかかられたとき、両側に殺人強盗の罪で十字架にかけられた人がいました。ひとりはイエス様をあざわらい、もうひとりは、イエス様を罪のないキリストと認め、信じる告白をしました。イエス様は信じた人に、「あなたは、きょうわたしとともにパラダイスにいます」と言われたのです。告白したあと、二人とも死にましたが、イエスを信じたのか、信じなかったのかで、完全に運命が変わってしまったのです。イエスの十字架は、地球とすべての運命の分かれ道です。信じる者は、永遠のいのちを持ち、信じないとさばかれてしまいます。人生が変わることは、人のなにかではなく、キリストであるイエス様が身代りに死んでくださって、神様がともにおられるようになるしかないこと、そのイエス様を信じることで、人生が変わってしまうことを確認しましょう。
今週一週間、自分がなにかを求めて、さまよい、もやもやして、言い訳していることがあったら、すべて捨ててしまいましょう。すべての運命の分かれ道は、イエスを信じるかどうかだけにかかっているので、ほかのことが理由にはならないのです。信じて受け入れたら、自分の弱さ、過去のいろいろなことに邪魔されることなく、まことの変化が自分のことだと確信を持ちましょう。イエス様を信じたので、幸せな者に変わりました。その幸せの祝福は変わることはありません。どのように変わったのか、その変わった自分を見つけて、喜びましょう。神の子どもになって、滅びることも地獄も関係なくなり、罪はないと言われ、神の神殿になっていて(Iコリント3:16)、天国に国籍があり、神様がともにおられるので、弱さがあっても、神様の力があらわれる機会になるだけです。神の愛から切り離されることはなく(ローマ8:38)、罪に定められません(ローマ8:1)。聖霊の力を受ける存在なのです(使徒1:8)。心配、思い煩いはいりません。新しく変えられたことを覚えましょう。地の果てまで証人となり、自分がいるところの暗やみが砕かれ、神の国が臨む存在になっています。天と地をつなぐ存在になっているのです。すでにイエス様を信じて本当の変化が起きていることを深く味わい、自分のものとして喜び告白する一週間になることをお祈りします。