日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
http://jremnant.net/


メッセージ要約版

2014年10月12日

十字架のイエス様―その3(ヨハネ19:23-24)
  イエス様は十字架に自分自身の身代りとしてかけられたということを忘れずにみことばを見るとき、自分自身を見ることができるメッセージが与えられます。今日の箇所では、イエス様が十字架にかけられるときに、服を下着まで脱がされたことが書かれています。つまり、イエス様はほんとうに丸裸にされたのです。そのことから、重要なメッセージを受けるようにしましょう。
 人々は意識しているかどうかにかかわらず、みんななにかで自分を飾って、包装して生きています。その包装紙は、本物の自分ではないのですが、ほとんどの場合は、それがまるで自分であるかのように思って、その包装に包まれて人生を生きています。包装紙には、宗教、良心に従って善を行い道徳的に生きること、経済的な豊かさ、知識が豊富であること、科学や文明の発展、なにかに成功すること、名誉、地位などがあり、実は包装紙にすぎないのに、それを自分自身だと思って、それによって差別したり、傷つく原因にしたりします。どうであっても、それらは包装紙に過ぎないことを知らないと、本来の自分の姿が見えなくなります。そして、人生の生きる目的が、その包装紙をどれほど高級で美しいものに取り換えるのかとがんばり、取り換えられたとしても、むなしくなって、また、次を探すようになります。そのように人生をがんばって生きても、まことの幸せ、安らぎ、希望、生きがいはなく、限界にぶつかるのです。
 しかし、十字架のイエス様の前に立たされるとき、すべての包装が勘違いであるという事実に気づき、包装を脱ぎ捨て本来の姿を見るようになります。聖書には、すべての人は罪を犯したので・・・と言われています。だれであっても、どんな人でも、丸裸の自分を見るとき、ただ罪を犯した自分しかいないことがわかります。そして、その罪の結果、悪魔から出た者と言われるほど、最悪の状況が見えてくるでしょう。それが、十字架の上で丸裸にされたイエス様を見るときに、出てくることです。包装を脱ぎ捨てた本来の自分は、生まれながら神の御怒りを受けるべき子と言われているように、平安なく、ほろびの運命にとらえられた者なのです。イエス様の十字架は、それをすべてあきらかにさせるものです。
 人間の本来の姿は、創世記1:27にあるように宇宙の中で神様の栄光を現すことができる「神のかたち」でした。それが、堕落してしまって、神のかたちを失ってしまったのです。自分を包んで、着飾っているものを脱ぎ捨てて、神のかたちを取り戻して、神様とともにいて、守られ、祝福される本来の状態を取り戻さなければなりません。外見がどうであっても、神のかたち、つまり、神様がともにいてくださらないといけない存在だということを認めましょう。それゆえ、聖書では、社会的に成功した者より、失敗して、苦労して、無視され、疎外されている人々のほうが幸いだと言っています。それは、自分が着飾っているものは、本当ではないと、勘違いに気付いて脱ぎ捨てられるという意味で幸いなのです。自分の弱さ、苦しみ、恥など、すべては意味があります。傷として握ることなく、それによって、自分を着飾っていたことを脱ぎ捨てて、本来の自分に気づくことができたと感謝するようにしましょう。
十字架の前ではだかになると、人生のまことの答えはキリストしかないという結論が出ます。そのようになることが幸いです。人間はみんな同じです。包装をすべて脱ぎ捨て、すべての人間の本来の姿を見つめ、キリストが必要で、キリストが希望であることを発見しましょう。キリストによってこそ、人生の問題をまことに解決して、神様と出会うことができるのです。そのキリストがイエス様です。
その結論が出たなら、今日からひとりになったときに、じっくり自分が包装しているものはなにか考えて、すべて脱ぎ捨ててしまいましょう。脱ぎ捨てないと、人生の困難、さまよいが終わりません。はだかになって、困難、さまよいに終止符を打ちましょう。Onlyイエスの信仰告白を理由を持ってして、強く釘を刺しましょう。そこに自由があります。そして、それからキリストという服を着ましょう。肉的な条件はまったく関係なく、滅びることができない救われた神の子どもであり、神様が内にともにおられる神の神殿であり、聖なる者だと確信しましょう。毎日、目が覚めたら、キリストで身を包み、思い出すごとにキリストで身を包みましょう。そうすれば、自分こそが世界を変える唯一の希望の主人公で、神様が喜んでおられる存在だと分かるようになるでしょう。そして、神様が自分を通して、イエス様がなさったことと同じみわざをあらわしてくださることを期待し、導いてくださいと願うようになるでしょう。それが祈りです。そのようにキリストを着て、毎日、わくわくする勝利のクリスチャン人生になるようにお祈りします。