日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
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メッセージ要約版

2014年11月2日

墓に葬られるまで(ヨハネ19:38-42)
   私たちのいまの姿、いまのあり方は、いまにできたのではなく、過去の結果です。過去は過ぎたのですが、意識の中、無意識の中に良くない記憶、傷ついた感情などで生きていて、がんこさを内側に作るようになります。そのような過去から完全に抜け出して、まったく新しい人生を歩いて行くにはどうすればよいのでしょうか。今日、十字架にかけられて死なれたあと、葬られたイエス様のメッセージから、まったく新しい勝利の人生を歩みはじめましょう。
 イエス様が墓に葬られたのは、旧約の預言の成就でした。それは、十字架で死んで終わりではなく、イエス様の救いは、一滴の欠陥もない、完ぺきな救いであるということです。預言を死後まで成就され、墓の中というこれ以上ないというところにまで行って、すべてを完了してくださいました。これ以上やることはなく、残すこともまったくなく、完ぺきにすべて成し遂げてくださったのです。このイエス様こそ、預言されていたキリストにまちがいなく、救いの祝福、救いのみわざは、欠けることはまったくない、パーフェクトなものなのです。サタンは、クリスチャンに、救いには欠けがあるようにささやきます。それで、人間が努力して完成しなければならないかのように思わせるのですが、それは、墓まで葬られた意味を分かっていないことです。サタンは、十字架でイエス様は死んだのではなく、気絶しただけだとか、イエス様は人間ではなかったとか、いろいろ言いますが、イエス様の救いはパーフェクトで、足りないことはない、完ぺきなものだということが、お墓が語っているメッセージなのです。それゆえ、私たち人間からは、そのイエス様の救いを信じるだけです。イエス様の救いが完ぺきなので、人間の何かは一切関係ありません。なにも疑わず、プレッシャーに感じる必要もなく、ただ信じるだけです。義人は信仰によって生きると言われています。自分のなにかに引っかかる必要はまったくないのです。
 私たちがイエス様を信じる瞬間、過去の自分はいっしょに墓に葬られて終わりました。そのために、神様ご自身であるイエス様がハデス(地獄)にまで行かれたのです。信じた瞬間、イエス様とともに墓に入り、永遠に終わったと、自分の過去を処理しましょう。過去には、知っている私があります。生まれ、経験、教育、いろいろな人生がありますが、そのような過去の私は、まるごと残さずすべて根から葬られ、存在しなくなりました。自分を自分で見るのではなく、イエス様を鏡として、過去がすべて葬られた存在だと見るようにしましょう。そして、私が知らない過去の私がいます。それは、私を作り出した家系の背景、つまり霊的な遺産があり、それを負って生きてきたのです。その家系の遺産も、すべて墓の中で終わりました。そして、過去の私には、知らないだけではない、本当の姿があります。それは、根本的な背景があるということです。すべての人が同じ罪の中で、神の御怒りを受けるべき子として、滅びるしかない運命にとらえられて生きてきたのです。どんなに努力して、悩んで、成功したとしても、絶対に変えることができない滅びの運命の中にいたのが、イエス様を信じる前の私ですが、それまでも、完全にすべて墓の中に葬られ、終わりになりました。もう滅びる身分の私は存在しません。不幸、悲しみの人生はいっしょに葬られ、永遠に終わったのです。イエス様が預言どおり、すべて成就して、墓に葬られたので、どんな過去であっても、信じた瞬間、完全に葬られ、いまは新しい被造物として造り変えられています。これを心に刻印するようにしましょう。
イエス様がハデスにまで行かれたので、私はいま、喜んで、幸せになることができるのです。すべて過ぎ去り、過去にとらわれないまったく新しい被造物に造り変えられました。(Uコリント5:17)肉的、人間的に残っているだけなので、だまされることがあります。それゆえ、しっかりとメッセージを握りましょう。信じたとたん、内に神様が入ってこられ、住まいとして、ともにおられる存在に変えられています(Iコリント3:16)。完ぺきに救われて新しくなっています。信仰の根拠はイエス・キリストです。神様を父と呼べる、神の子どもに身分が変わりました。不幸はもうありません。神様から義と認められ、「よし」とされた存在です(ローマ2:23,24)。人からどう見られるかを気にする必要はないのです。神様が義と認められるので、敵対するものはありません。なにがあっても祝福の存在になりました。永遠のいのちがあるので、その祝福は永遠に続きます(ヨハネ5:24)。奪うことができるものも、変えることができるものもありません。根本的にすべて変わったので、すべてが益となる存在です(ローマ8:28)。良いことも、悪いことも、すべて良いことに変えられ、弱さを誇ると言えるほどの存在になったのです。イエス様を信じた瞬間、アブラハムに言われた祝福が、与えられ、祝福の根源となり、世の光、塩とされています。能力、人格、まったく関係ありません。世を掌握しているサタン、暗やみを縛ることができ、天使が手伝う、すばらしい存在に変えられているのです。この内容を心から喜んで味わうことを祈りと言います。そのような祈りができる存在に変えられています。つまり、神様と通じる存在になっています。だまされないようにしましょう。
イエス様が預言どおり、すべて成就するために墓にまで行かれたので、イエスの救いは完ぺき、パーフェクトで、ただ信じるだけです。そして、信じれば、すべての過去は葬られます。ですから、自分の考えの中に過去が出てくるたびに、完全に過去はイエス・キリストによって葬られていると宣言しましょう。そのように過去を処理することが今日につながり、それが未来につながります。それだけではなく、過去は、イエス・キリストへ案内する教師だったからよかったと解釈を変えましょう。過去を未来の神様の願いのための土台にするのです。そうすれば、なにかにデリケートになったり、がんこになってサタンにとらわれることもありません。新しい祝福の自分と向き合って歩んでいく、完ぺきな解放のいやしの祝福があるようにお祈りします。