日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

2015年1月11日

幸せのない人生(ヨハネ3:1-7)
   世の中では、成功者、立派な人、良い人、礼儀が正しい人は、幸せであろうと思われています。しかし、本当はその人々は幸せではありません。今日、聖書から3人の人を見て、幸せがない人生について考えてみましょう。
 最初に、成功者の代表と言えるニコデモについて見てみましょう。ニコデモは、選民意識を持つプライドの高いユダヤ人であり、その中でも指導者として、社会的にも成功者でした。パリサイ人でしたから、熱心と努力は、ふつうの人以上だったでしょう。しかし、そのニコデモに幸せはなかったのです。心の中に自分では理解できない穴があったので、夜にこっそりと危険を覚悟で、イエス様を訪ねました。そして、とても礼儀正しくイエス様に話をしたのでした。このように、世の中の成功者は、人には言えない隠れた悩みを抱えて、苦しんでいます。同じように、所有が多くても、社会的な地位が高くても、名誉があってあこがれの的であっても、ほんとうの幸せはありません。成功者であればあるほど、肉的な知識は豊富なのですが、霊的なことにはまったく無知なのです。神様の目で見ると、成功という包装紙に包まれているだけで、うちには、隠れた悩みがあるのです。どんなに順調に見えても、それは時間の問題で、成功者は、どんなかたちであっても、隠れている悩みを抱えています。
 また、サマリヤの女の場合は、完ぺきに失敗した人だと言えます。幸せを求めて、繰り返して結婚したのですが、がんばっても幸せは手に入りませんでした。失敗にとらわれて人生を生きていくしかないのです。予想もしないトラブルで、失敗することもあります。家庭崩壊、人からの裏切り、自然災害、災いなどで、突然、失敗がやってきて、どんなに努力してもだめになり、感情や物理的にまわりから断絶してしまうようになります。
 また、38年間同じ病気をわずらっていた人が出て来ます。自分の力ではどうしようもない病をわずらい、越えられない大きな壁にぶつかって、苦しみ、無気力になり、絶望の中で、判断も混乱してしまっている状態です。このように不治のや病、先天的な障害、事故による障害、奴隷制度のあったときの奴隷など、運命にとらわれているような状態です。それ以外にも、なにかに依存して、中毒になって、執着していて、自由になれないなら、これも病と言えるでしょう。身動きがとれず、精神をコントロールすることができません。
 このように、人間は、どんな人でも、どんな人生でも、幸せはなく、まことの幸せが必要なのです。そして、知らず知らず、まことの幸せがないまま、その穴を埋めようとしてできた傷をかかえて生きています。救われた私たちは、すでに幸せになっているのですが、以前にあった、その傷によって、昔に幸せを求めていた姿に戻ってしまいます。神様の目で、成功者であろうと、不幸の穴が開いていて、まことの幸せが必要で追い求めていることを霊的に見るようになりましょう。
 なぜ人々には幸せがないのでしょうか。それは、人間は霊的問題をかかえているからです。人間は、創世記3章に書かれているように、まことの神様を離れ、いのちから断絶され、暗やみの世界の支配者である悪魔(サタン)にとらえられているので、幸せになれないのです。まことの幸せのためには、神様に出会うまことの預言者、悪魔の頭を踏み砕くまことの王、災いやのろい、苦しみをなくしてしまうまことの祭司、つまりキリストだけが必要です。そのキリストがイエスです。神様の目で本当のことが見えるなら、ほろびやのろいの問題だと見えて、それゆえに、キリストが来られたと、キリストこそ、まことの幸せの鍵だとわかります。キリストの他には穴を埋めることはできないのです。
 世の中では、問題を克服した人が幸せだと言っていますが、克服しても、かえってそれによってだまされて、本当の幸せのキリストに目を向けないなら、本物の幸せから遠ざかるのなら、幸いとは言えません。倒れているほうが、キリストに向かうようになるなら、そちらのほうが幸いだと言えるのです。
 唯一の幸せの鍵は、キリストです。キリストと出会ったたましいは、どんなに苦しめられても、窮することはなく、宝であるキリストがともにおられます。運命、罪、さばき、地獄の力から解放され、神様に守られ、神様の栄光を現す人となっています。自分が傷によって味わえていないなら、キリストと出会った自分は幸せなのだと、確信と自負を持つようにしましょう。
 そして、世の中の幸せではない人々に、幸せを分け与える「幸福伝道師」であると、自分のことを確認しましょう。神様が任命してくださったので、感謝しましょう。そして、今までの自分、今の自分、未来まで、人生すべてが、幸福伝道師としての訓練(プロセス)であり、準備だったと、自分の人生に向きあうようにしましょう。不幸にとらわれる必要はありません。職業は外側のかたちだけで、内は幸福伝道師です。同じように学生は専門の勉強をするのは、幸福伝道師のためなのです。2015年は幸福伝道師として、祈り始めることから挑戦しましょう。ノートに幸せではないけれど、幸せが必要な人の名前を書いて、幸福を与えるために祈りましょう。幸福伝道師としての生活になることをお祈りします。